チュルキン国連大使の強い発言の数々

 2月20日に亡くなったヴィタリー・チュルキン氏は、ロシア国連常駐代表を務めた10年間、数多くの重要な、時に歯に衣着せぬ発言で、人々に記憶された。
Vitaly Churkin
ヴィタリー・チュルキン氏=  Getty Images

 ヴィタリー・チュルキン国連常駐代表は2月20日、アメリカ・ニューヨークで心臓発作により死亡した。64歳だった。ウラジーミル・プーチン大統領は遺族に哀悼の意を表明し、ロシア連邦外務省のマリヤ・ザハロワ報道官は、チュルキン氏のことを「偉大な外交官、身内」と述べた。哀悼の意は、ロシアだけでなく、海外でも表明された。

 アメリカのサマンサ・パワー元国連常駐代表は、チュルキン氏についてこう書いた。「アメリカとロシアの相違点を調整すべく、できることすべてを行った外交マエストロ&とても面倒見の良い人」。イギリスのマシュー・ライクロフト国連常駐代表は、「外交の偉人&素晴らしい人物」だったと評した。

 とはいえ、国連安保理では、チュルキン氏と欧米の関係者が常に良好な関係にあったようには映らなかった。チュルキン氏はロシアの立場を強く主張しながら、はっきりとした厳しい発言を行っていた。

 

マザー・テレサか

 パワー代表は昨年12月、シリアの政権とその同盟国であるロシアにアレッポ(シリア北部の都市)の民間人の犠牲に対する責任があると批判。チュルキン代表は、こう答えた。「アメリカ代表はまるでマザー・テレサであるかのように発言している。どの国を代表して言っているのか!自分の国がやってきたことを思い出すべき!それから道徳的な観点または何らかの他の卓越した観点から物を言えばいい。誰にどんな罪があるのか、歴史と神が裁くと思う」

 

国連は教会や劇場ではない

 シリアで内戦が始まって以来、チュルキン代表はしばしば批判に答えねばならなかった。スティーブン・オブライアン人道問題担当国連事務次長は昨年10月、アレッポの状況を説明しながら、中世の詩人ロバート・バーンズの詩を読んだ。チュルキン代表はすぐさまこう答えた。「説教が必要なら教会へ行くし、詩を聞きたいなら劇場へ行く。国連事務局の幹部に、起こっていることの客観的分析は期待していないが、正しかった」

 

中東における罪

 欧米はシリアで民間人が死亡しているのはロシアのせいだと客観性のない批判を行っているが、欧米諸国のせいでもあることを、チュルキン氏はロシアの立場として、何度も欧米の関係者に思い出させてきた。昨年10月、有志連合の空爆で民間人が死亡したことに、改めて言及した。「したがって、尊敬する皆さま、多くの人が罪の赦しを請うことになる。シリア情勢に、イラク情勢に、他の多くの我々の知らない情勢に対する罪の赦しを」

 

まずはフォークランド諸島を

 ロシアの他の当局者と同様、チュルキン氏は2014年にロシアに再編入されたクリミアを、ロシアの不可分の部分と説明し続けた。今年2月、イギリスとアメリカの代表がウクライナにクリミアを返還するよう求めた時、こう答えた。「アメリカ合衆国憲法には、『我々合衆国の民』という素晴らしい言葉がある。クリミアの民は、自分たちの意思を住民投票(2014年3月16日)で明確に表明した。93%の住民がロシアへの再編入に賛成票を投じた」。チュルキン氏は、イギリス代表に、「マルビナス諸島(フォークランド諸島)、ジブラルタル」、その他を返還してからであれば、求めにも説得力が出るであろうと述べた。

 

武装クーデター民主派

 シリア以外で国連安保理の論争の中心となったのはウクライナ。チュルキン氏は2014年4月、ウクライナの政権交代(ビクトル・ヤヌコビッチ大統領がクーデターで追放された)について議論した際、欧米の楽観的な見方を皮肉った。「なぜか一部の欧米の人は、何らかの武装クーデターが起こると、次に政権に就くのが民主主義勢力だと思い込んでいる。トーマス・ジェファーソンが取り仕切るとね」

 

墓穴を掘った

 アメリカの制裁対象となり、同国への入国が禁じられたワレンチナ・マトヴィエンコ上院(連邦会議)議長に、ニューヨーク国連本部の会議への出席に必要な入国ビザを限定発給することをアメリカが決定した件で、チュルキン氏は2015年9月、アメリカが受け入れ国の権限を悪用して自国のイメージに打撃を与えている、と話した。「プロパガンダの観点からすると、アメリカはこのような決定をしたことで、墓穴を掘った」

 

安全地帯を出る

 アメリカのテレビ局CNNの司会者クリスティアン・アマンプール氏は2014年、チュルキン氏にインタビュー申し込んだが拒まれたとし、「コンフォート・ゾーン(安全地帯)」から出て嫌な質問に答えたくないからだと批判した。チュルキン氏はこれに公開書簡で答えた。「私は大韓航空機撃墜事件(ソ連の戦闘機に誤って撃墜された事件)の2週間後の1983年にワシントン大聖堂で演説し、チェルノブイリ原発事故後の1986年5月にアメリカ連邦議会で証言を行っている。したがって、『安全地帯』から出るとはどういうことかをあらゆる人に説明できる」

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