露土関係打開の道は?

画像:ドミトリー・ディヴィン
 トルコ空軍によるロシア機の撃墜は、両国の関係にとって難しいテストとなる。最近まで、政治家や専門家らは、露土関係を昨日までの歴史的敵対国が関係を修復する成功例とみなしていた。

 ところで、今の問題を明らかな原因もなく唐突に生じたものとみなすのは、正しくなかろう。著名なトルコの専門家ビュレント・アラズ氏は、ロシアとトルコの関係を「競合的パートナーシップ」と特徴づけている。そして、実際、両国の見解は、多くの政治的テーマに関して食い違っていた。それは、トルコの政治家らがその領土保全に疑問を呈してこなかったグルジアやナゴルノ・カラバフの紛争についても言える。トルコは、クリミア問題を公然と強調しようとはしなかったものの、ロシアに利する同半島のステータス(地位)の変更に対するトルコの姿勢は、慎重な懐疑的態度と呼ぶことができる。

 

経済関係でカバーしてきたが

 しかし、意見の相違は、長いこと、互恵的経済関係の発展によって取り除くことができていた。プラグマティクス(実用論)が今後も政治的テーマをめぐる対立や争いを第二義的なものとするように思われた。ここ十年ほどトルコの政治を主導しているレジェップ・エルドアン氏と米国およびEUの関係には改善しか望めなかったとあれば、なおさらである。トルコは、中東のクルド人勢力と米国の関係に満足せず、トルコの欧州統合への動きは、EUによってとくに歓迎されなかった。双方は、キプロス問題でついに大きな進展を遂げることができなかった。トルコ国内の「クルド・カード」も、トルコのEU加盟の妥当性に関するEU内の議論を煽った。しかも、トルコは、上海協力機構(SCO)の対話パートナーのステータス(地位)を得た唯一の北大西洋条約機構(NATO)加盟国であった。つまり、ロシアとトルコは、一連の問題に関する不同意を認めていたものの、「限界線」を越えることはなく、経済協力拡大の必要性を疑問に付すことはなかった。その証拠となったのは、ロシア産ガスのトランジット国としてのウクライナへのロシアの依存を低減するためのエネルギー・プロジェクト「トルコ・ストリーム」実現の準備である。

 

潜在的対立点が浮上

 とはいえ、「不同意の承認」の論理が崩れはじめたのは、2015年になってからではまったくない。その発端は、中東へいわゆる「アラブの春」が訪れた2011年の出来事にさかのぼる。その出来事を、ロシアは、世俗の国家体制の崩壊やイスラム原理主義の強まりおよびロシアを含む旧ソ連圏へのその波及の恐れに関連した危険な挑戦と受けとめ、トルコは、トルコが長年にわたって重要視してこなかった地域へ返り咲くチャンスと捉えた。トルコによるエジプトの「ムスリム同胞団」の指導者ムハンマド・ムルシー氏の支持も、イスラエル批判および政治的な「パレスチナ擁護」への急転換も、バッシャール・アサド政権に対する闘いも、その理由は、まさにここにある。トルコは、事実上、中東を自国の「近い外国(nearabroad)」にしようとした。

 その結果、ユーラシアの両大国には、異なる政治的「オプティクス(光学)」が形成された。シリアにおいて、ロシアは、「イスラム国(IS)」および世俗国家の崩壊を主な脅威と見ており、トルコは、クルド人とアラウィー派の勢力の拡大、および、地域におけるトルコの影響力の強化を望む自国の「クライアントたち」の敗北を、懸念している。

 

それでも共通の利害はある

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 今回の撃墜事件がユーラシアの両大国の関係を脅かしたことに、議論の余地はない。両国では、国の威信も、現状打開の見通しの認識も、揺らいでいる。状況は、もちろん、変化し明確化されよう。トルコでもロシアでも、感情が最高度に昂ぶった。しかし、第一に、双方には、すでに、困難でほとんど袋小路の状況を打開する一定の経験がある。第二に、両国とも、互いの弱体化によって第三の勢力が利することを望んでいない。第三に、トルコは、アサド政権は憎いとしても隣国の不安定化がブーメランのようにトルコ社会そのものに打撃をもたらしうることをよく理解している。トルコ社会にも、過激なイスラム主義的気運があり、そうした人々は、エルドアン氏とロシアの関係を顧みることなくエルドアン氏と闘うつもりであるが、エルドアン氏は、ロシアとの関係を損ねてまでそうした人々のために赦免と支援を保障しはしまい。すべてこれは、新たな容易ならぬ状況において双方が何らかの「モーダス・ヴィヴェンディ(暫定協定・一時的妥協)」を見いだす淡い希望を与えている。

 

筆者―セルゲイ・マルケドノフ、ロシア国立人文大学・外国地域研究・外交政策講座・准教授

 

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