リオ五輪柔道男子60キロ級で金メダルを取ったベスラン・ムドラノフ選手とプーチン大統領、ソチ、1月8日、2016年=
アレクセイ・ニコリスキー撮影/タス通信リオデジャネイロ夏季五輪で、ロシアの柔道の選手は、フェンシングの選手とともに、主なメダルの稼ぎ手となった。五輪が開幕してすぐに、カリオカ・アリーナ2ではロシアの国家が流れた。柔道男子60キロ級でベスラン・ムドラノフが、またその3日後にハサン・ハルムルザエフが柔道男子81キロ級で金メダルを獲得した。
2012年ロンドン五輪以降、ロシアの男子柔道選手が優勝しても、驚きではなくなった。前回はアルセン・ガルスチャン、マンスル・イサエフ、タギル・ハイブラエフの3人が金メダルを獲得している。今回のチャンピオンは別の選手だ。
30歳のムドラノフの優勝までの道のりには、2つの五輪周期があった。前回は代表を決める選考試合でガルスチャンに負け、出場を逃している。それでもあきらめることなく、目標に向かって邁進した。
22歳のハルムルザエフはぎりぎりまで、五輪の代表に選ばれるかどうか、自信を持てずにいた。国内の81キロ級の競争はとても激しいためだ。
ハサン・ハルムルザエフ選手(右)、リオデジャネイロ、8月9日、2016年=スタニスラブ・クラシリニコフ撮影/タス通信
柔道を注視する人物は、このような活躍に特に驚いていないだろう。それは武道の大ファンで、世界柔道連盟(IJF)8段(講道館5段)、テコンドー9段のプーチン大統領である。とはいえ、発展に影響を与えているのはプーチン大統領だけではない。これだけで柔道家が最高の結果などだすことはできない。2000年シドニー五輪の銅メダル1個と銀メダル2個、2004年アテネ五輪の銀メダル2個と銅メダル3個は、熱いスポーツ大国にはちょっと物足りなかったが、2008年北京五輪からは代表は手ぶらで帰国した。
北京の失敗の後、1980年モスクワ五輪の金メダリストで1984年ロサンゼルス五輪の銀メダリストであるイタリアの柔道家エツィオ・ガンバ氏が、コーチとして代表に招かれた。すると、選手はたちまち畳の上で輝きだした。ガンバ・コーチがいる間に、ロシア代表は金メダル5個を含む、五輪メダル8個を手にした。前回金メダルをとったイサエフは、ガンバ氏が選手を精神的に解放することができたと考える。「コーチは技術面ではあまり口だしせず、何かを修正したり、ほのめかしたりする程度だった。雰囲気が変わり、代表がすごく仲良くなった。練習中は互いを助け合っている」と、ロシアNOWに話した。
マンスル・イサエフ選手、ロンドン、7月30日、2012年=ロイター通信
ロシア柔道の近年の金メダリスト全員が、カフカス地方の出身者である。この地域では格闘技にとても人気がある。「カフカスでは闘いが血に染み込んでいる。人生とは闘いであり、常に競争を探さなくてはならない。子供時代からこのような考えが植えつけられている」とイサエフ。
カフカスの選手の成功をリオ五輪の前に予測していたのが、プーチン大統領。1月、柔道の練習を見学し、こう言った。「オリンピックの主要なライバルは誰かと選手に聞いたら、多くが日本人と答えた。我々は日本人に多大な尊敬の念を抱いている。この競技の創始者である。ある選手にどの民族かたずねたところ、『私はカバルダ人(北カフカスの民族)』と答えた。日本人への全面的な尊敬を込めて、カバルダ人は日本人を圧倒するだろう」
プーチン大統領、柔道チームと練習中、ソチ、1月8日、2016年= アレクセイ・ニコリスキー撮影/タス通信
選手は、プーチン大統領の柔道へのこだわりを感じている。「プーチン大統領は若い頃から柔道をやっていて、ずっと柔道を愛してきた。だから大きな大会の前には必ず会う。そしてエネルギーをもらい、前進する」とイサエフ。
柔道への投資が増えていることも、選手の力になっている。「ロシア代表は何も必要としていないし、こちらの要請が拒まれることはない」とイサエフは話す。
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