リプニツカヤのコーチにインタビュー

ヴァリリー・シャリフリン/タス通信撮影

ヴァリリー・シャリフリン/タス通信撮影

ソチ冬季五輪フィギュアスケート団体戦の金メダリスト、ユリヤ・リプニツカヤ(17)のコーチ、エテリ・トゥトベリーゼ・コーチ(41)は、アメリカで10日間にわたり、リプニツカヤともう一人の弟子アジヤン・ピトケーエフ(17)のプログラムの準備を行って、一月前に帰国した。トゥトベリーゼ・コーチは、インタビューのなかで、トレーニングに関する感想を詳しく語ってくれた。

カントン(米オハイオ州)での滞在で驚いたことは? 

 第一に、創造性に満ちた雰囲気自体、第二に、トレーニングのプロセスの正確な組み立て方です。マリーナ・ズエワが、チーム全体のスケジュールを分刻みで完全に作ってくれました。どの選手がいつ、誰のところから誰のところへ移動し、誰と何をやるか、何に取り組むか、といったことです。トレーニングは、朝6~7時に始まり、夕方5時ごろに終わります。一日通して、10分間のスケートリンクの製氷による中断があるだけ。他の時間はノンストップです。しかもこれは機械的な作業ではなく、本当に創造的なプロセスなので、時間の経つのを忘れますね。

 

プログラムの振付での成果は? 

 私達は予算が限られていたので、ピトケーエフはフリープログラムだけ、リプニツカヤにはエキシビションを含む3つのプログラムだけに限定しました。今回、私は観客に回りましたが、でも私もプロですので、トレーニングのプロセスを見て、とても面白かったです。

 例えば、私は知っているのですが、ピトケーエフは、誰かに助けてもらわないと、音楽の中に入り込んで、それを“生きる”のがすごく難しいんです。でもズエワは、彼から必要な目付き、頭の回し方、動作などを引き出し、全部上手くいったのです。例えば、彼女はトレーニング中にいきなりピトケーエフに、「あんた、何か買いたいものある?」と尋ねました。彼が「車かな」と答えると、「じゃ、あんたは今、その欲しい車の中をじろじろ眺めるような目付きで、私達のほうを見るのよ」。ピトケーエフがそうすると、彼を止めて、こう続けます。「見た?どんな色だった?赤ね?じゃ、3回転を飛んだら、その車内の匂いを思い切り吸い込むのよ」。という具合で、氷上で起きたことは実に驚きでした。ピトケーエフは本当に車の中を眺め、匂いを嗅いだんだと思います。これでどれだけプログラムが生き生きしたことか!

 

リプニツカヤのトレーニングのほうはどうでした? 

 ズエワはリプニツカヤを大変褒めていました。実際、そういう賞賛に値したと思いますね。最近、彼女はすっかり変わって大人になり、多くの物事に対し別の見方をしたり、見直したりするようになりました。それは当然、プログラムにも反映します。私から見ると、ショートプログラムでの彼女は、まったく“新しいリプニツカヤ”でした。彼女自身が望んだように、どこか悪戯っぽくて、それが彼女に似合っていました。上手くいったと思います。フリーでは、まあ、“踏みならされた道”ですが、シリアスなテーマを選びました。あらゆる技術的な要素を、彼女にやりやすいような形で盛り込むように、私達は努力せねばなりませんでした。

 

リプニツカヤは大人びて、外見も変わりました。最近、彼女は、自分のエキシビションの「剣の舞」を見直して、「なんであんなことが全部、このプログラムの中でやれたんだろう」と驚いていましたね。新しいリプニツカヤとトレーニングするのは、前より容易ですか、難しいですか? 

 私は、“前のリプニツカヤ”をトレーニングしようとしてはいません。私は現在に生きているのですから。大人の身体を持ったスポーツ選手を前にしているのだから。その新しい選手とトレーニングしているんです。リプニツカヤには独自の才能も可能性も、強みも弱みもあります――誰でもそうです。何か一つのことにこだわってはいけません。とにかく学び、練習することです。

 

あなたのアメリカ旅行に戻りますが、コーチとして何か発見はありましたか? 

 カントンでの10日間、私は、ズエワがトレーニングしているアメリカのペアをずっと観察していました。毎日6~7時間はリンクにいましたが、幸せそうな微笑が浮かんでいました。ずっと休まず根をつめてトレーニングしているんですよ。なのに、6時間経過しても、足は最初と同じように軽やかでした…。コーチと選手の熱意と献身的努力には驚嘆させられました。個々のトレーニング(エクササイズ)に、100%ではなく、200%の力を皆注いでいました。

 ロシアのシステムはこれとは違って、グループでのトレーニングを重視します。ところが海の彼方の米国では、リンク使用料、コーチへの謝礼を自分で稼ぐんです。ですから、“個人レッスン”を要求する権利がある訳ですね。米国とロシアのやり方にはそれぞれ長所と短所があります。

 例えば、私の考えでは、健全な競争とある種の連帯感はあるべきだと思います。ですから、リプニツカヤがソチ冬季五輪に向けて準備していた時は、私達のグループ全員が彼女と一緒にやっていたのです。もっとも、こういうロシア式だと、コーチにとってやりにくい場合もありますが。一種の焼きもちを焼かれることがあるので。コーチは私よりもあの選手によけい配慮している、とかね。

 米国ではこれはあり得ません。すべて、選手の“財力”で決まるからですね。例えば、私には米国で教えていた青年がいたんですが、彼は、朝の4時に“一番安い”リンクを借りていました。そして、トレーニングの後、学校が始まるまで毎日、そのリンク使用代とトレーニング代をアルバイトして稼いでいたのです。1984年サラエボオリンピック・アイスダンス金メダリストであるジェーン・トービル&クリストファー・ディーン組の場合は、五輪に向けて準備していた時は、真夜中にトレーニングしてました。これは余計な邪魔が入らないようにするためで、ですから、あまりお金はかからなかったのです。昼間は彼らは働いてました。

 またあるエキシビションの時のことですが、私とズエワは、スケーティング・ラウンジに座っていたんですけど、ソチ五輪アイスダンス金メダリストのメリル・デイヴィス&チャーリー・ホワイト組の出番が告げられた際、彼女はなぜか自分の教え子の演技を見に行こうとしませんでした。「だってこれは私の振り付けじゃないもの。彼らはお金が足りなかったので、自分達で振付けたのよ」と彼女は言いました。その時点までにこのペアは、世界選手権を制し、バンクーバーとソチでメダルを獲得していたんですが。米国ではこれは普通のことなんですね。

 

それで外国の選手たちは死にもの狂いのモチベーションがあるわけですね。 

 驚いたのは、アレックス・シブタニがトレーニングと試技を終えた後で、1時間にわたり、「クロスロール」のステップを練習していたことです。私は我慢できなくなって、後でズエワに聞きました。「あのレベルの選手がこんな課題を出されてどう思うのかしら?だって、あれは“1年生”の課題をやらされる訳じゃない?」。ズエワは肩をすくめました。「驚くことなんかないわよ。彼は自分に何が必要か分かっているんだから。私達はみんな、こういう風にトレーニングするのよ」

コーチ兼振付師マリーナ・ズエワ氏 

ズエワ氏(59)は有名なエレーナ・チャイコフスカヤ・コーチの教え子。ズエワ氏は1970年代終わりに、CSKAで振付師としての仕事を始めた。フィギュアスケートのペアで、五輪で二度金メダルを獲得している、エカチェリーナ・ゴルデエワとセルゲイ・グリニコフも担当していた。1990年代初めに活動拠点をカナダに移し、カナダのアイスダンスの五輪チャンピオン、テッサ・ヴァーチュとスコット・モイア組のコーチを務めた。またアメリカの2014年ソチ五輪のチャンピオン、メリル・デイヴィスとチャーリー・ホワイト組のコーチでもある。
 

*記事全文(露語)

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