京都ハリストス正教会の生神女福音聖堂
=クセニヤ・アフレビニンスカヤ京都ハリストス正教会は、京都市中心部の京都御苑近くにある。鐘楼は日本の住宅地の中で細い路地に挟まれながら静かにたたずみ、時に非日本的な鐘の音を発する。
7日午前10時、生神女福音聖堂で聖体礼儀が始まった。内部に入る前に、ここがロシアとは違うことに気づく。靴をぬいで、スリッパに履き替えなければいけないのだ。聖堂の中心に椅子が並んでいるところも、ロシアとは違う(ロシアでは椅子は置かれていない)。だが、正教会に必須の聖障(イコノスタス)すなわち至聖所と残りの空間を隔てる聖像(イコン)で覆われた壁はある。
礼拝はなじみのロシアの礼拝と何ら変わらない。主に日本語で行われるため、違うような気がするだけだ。聖歌と祈りの一部はロシア語で行われる。例えば、キリスト教徒の多くが暗唱している「信経」や「天主経」の祈りは、日本語とロシア語で行われる。おもしろいのは、英語が礼拝に入っていることだ。福音書の読み上げの際、長司祭が日本語で少し読むと、アメリカの男性信徒が英語で復唱し、続いてロシアの女性信徒が復唱した。
信徒で構成される合唱団は素晴らしく、注意を引く。降誕祭で教会には30人ほどが来ていた。ロシア語、日本語、そして英語、またセルビア語まで響いている。特別な祝いの日、珍しく外国人が多い。
長司祭によれば、ギリシャ人、ルーマニア人、ブルガリア人、グルジア人も時に訪れるという。これらの人々の多くも、ロシア人のように、正教を信仰している。そのため、主要な日本語以外にも、その日聖堂に来た人に合わせた言語で礼拝を行う。
京都の生神女福音聖堂は、日本で最も古い木造の正教大聖堂であり、ニコライ大主教によって成聖された唯一の現存する聖堂である。聖堂の建設は1900~1901年、建築家松室重光の指導のもと進められ、1903年、ニコライ大主教によって成聖された。
ロシア・ビザンチン様式で、内装は、聖障など、ロシアから輸送されたもので施されている。輸送の際、聖像は損傷したが、日本初の聖像画家イリナ山下りんによって修復された。また、聖堂にはイリナ山下りんの描いた「至聖生神女之福音」聖像も残っている。
パウェル及川信長司祭は、2011年に京都の生神女福音聖堂の司祭になった。すでに2世代目の正教信徒で、父が20歳の時に正教に改宗したのだという。
パウェル及川長司祭によれば、この教区の老いた日本人は主に3世代目、4世代目の正教徒であり、若い人は関心を持って自ら赴いたのだという。
パウェル及川信長司祭=クセニヤ・アフレビニンスカヤ
聖体礼儀が正午ごろ終了すると、長司祭は訪問者すべてを祝餐に招いた。餐卓はとても豪華で、ロシアとウクライナの女性がサワークリームの入った本格的なボルシチを用意していた。私はここで、信徒と話をすることができた。
さとうさん(キリルさん)は、老齢にもかかわらず、ここの合唱団で時々聖歌をうたっている。今日もそうだった。さとうさんは3代目の正教徒。幼少期に洗礼を受け、正教の伝統の中で育った。子供時代、日本の一般的な習慣とは異なり、新年ではなく、降誕祭や他の正教の祝日に、両親から新しい服を着せられたという。さとうさんはロシアに行ったことはないが、心の中で正教とロシアは密接に結びついている。信仰心は「普段はあまり気にしないけど、なければならないこと」だという。
すわさんは高校の若い国語の先生。今年洗礼を受けようとしており、今は正教の基礎を勉強中で、教会の合唱団で毎週一回うたっている。昨年ロシアを訪れたことが、正教への改宗を考えるきっかけとなった。ロシアではたくさんの教会を訪れ、その雰囲気に強い印象を受けた。そして、「なんとなく、これしかない、と思った」。正教について、「これだけは疑わなくていいもの」と話す。
ふじたさん(エレナさん)は京都大学の大学院で中世のロシア史を研究している。ふじたさんが正教に改宗したのは昨年5月。幼い頃からロシアに興味があり、その歴史と宗教について知れば知るほど、正教が自分の心に近いことを実感したという。
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