20世紀の文学者、4つの愛の物語

 バレタインデーに寄せてロシアビヨンドが振り返る、ロシア文学界の伝説的カップルたちの、愛の軌跡。

マリーナ・ツヴェターエワ & オシップ・マンデリシュターム

オシップ・マンデリシュターム、マリーナ・ツヴェターエワ

 ふたりの詩人は、かつて互いに異なる世界に住んでいた。オシップ・マンデリシュターム(1891–1938)はユダヤ人商人の息子であり、マリーナ・ツヴェターエワ(1892-1941)は、モスクワ大学名誉教授にしてプーシキン美術館創設者という人物の令嬢であった。

 ロマンスは半年しか続かなかった。1916年2月に始まり、6月には幕を閉じた。当初ふたりを包んだ歓喜は、間もなく寒気に取って代わられた。ツヴェターエワは惚れっぽい人間だった。マンデリシュタームへの関心は急激に萎んでいった。女流詩人は次の結論を下した。なるほどオシップは、いい人だ。しかし「ひどくひ弱で、利己主義的」。いつか彼が「自己の名のもとにではなく、相手の名のもとに」愛することを知る日が来ればいいが・・・。

 二人の短い、嵐のようなロマンスは、双方の手になる切ない詩篇のいくつかを、文学史に遺した。

アンナ・アフマートワ &ニコライ・グミリョフ

ニコライ・グミリョフ、レフ・グミリョフ、アンナ・アフマートワ。1915年

 最初の出会いは、アンナ・アフマートワ(1889–1966)が 14歳、ニコライ・グミリョフ(1886-1921)が17歳のとき。グミリョフは病弱で物静かな青年だった。オスカー・ワイルドにのめり込み、清らかな、全身全霊を懸けた愛というものを夢見ていた。ワイルドのひそみにならい、若きロマンチストは、シルクハットをかぶり、時には髪にウェーブをかけた。アフマートワはその対極。溌剌として、直接的で大胆で、熱烈なボードレール信者だった。

 グミリョフは一目見てアフマートワを好きになったが、返事はかんばしくなかった。アフマートワから見ると、グミリョフは奇人であり、からかいの的だった。3度プロポーズし、3度とも拒絶されたグミリョフは、フランスに逃亡。自殺を試みた。トルヴィルで水死を、ブローニュの森では服毒自殺を図ったが、毎回発見・救助された。

 1909年、ついにアフマートワが首を縦に振る。夫婦生活は8年続いたが、そのうちの少なくない期間を、夫は外国で過ごした。アフリカ、ヨーロッパを旅して周った。息子のレフを養育したのは、グミリョフの母である。結果、1919年、ふたりは離婚した。

 離婚の2年後、グミリョフは、「陰謀を企てた」との虚偽の嫌疑で銃殺された。アフマートワはグミリョフの遺稿を大切に保管し、その刊行に多くの時と労力を捧げた。

エフゲーニイ・エフトゥシェンコ & ベーラ・アフマドゥーリナ

ベーラ・アフマドゥーリナ、エフゲーニイ・エフトゥシェンコ

 ベーラ・アフマドゥーリナ(1937-2010)とエフゲーニイ・エフトゥシェンコ(1933-)は「60年代人」と呼ばれる世代の代表である。ふたりの名は、ニキータ・フルシチョフがソ連邦の最高指導者を務めた頃、「雪解け」の時代を連想させる。 

 1954年に知り合い、3年後には結婚し、もう3年で離婚した。詩人ふたりの結婚生活は、一筋縄ではいかなかった。エフトゥシェンコによれば、ふたりは沢山けんかして、すぐに仲直りした。同時代人の回想によれば、ベーラは美しく、崇拝者の群れに取り巻かれていた。嫉妬ぶかい旦那は贈られてきた花束を隣のヤギに食べさせていた。

 アフマドゥーリナの予期せぬ妊娠が夫婦生活の転機となった。エフトゥシェンコは当時、子供がほしくなかった。夫にせがまれ、ベーラは子供をおろした。この一件で関係は決定的に破綻をきたし、ついには離婚の運びとなった。

 多くの困難があったものの、元夫婦は友人として関係を続けることができた。エフトゥシェンコが最後の妻マリアと結婚したときも、ベーラは駆け付けて、祝いの席の支度まで手伝ったという。

ジナイーダ・ギッピウス & ドミートリイ・メレシュコフスキー

ドミトリー・フィロソフ、 ドミートリイ・メレシュコフスキー、 ジナイーダ・ギッピウス,、ヴラジーミル・ズロービン。 1919年〜1920年

 女流詩人ジナイーダ・ギッピウス(1869-1945)と、宗教哲学者・作家のドミートリイ・メレシュコフスキー(1865-1941)。ふたりはともに「ロシア象徴主義」の創始者・理論家であり、「銀の時代」で最も有名な作家夫婦であった。ふたりは、芸術と宗教を親和させ、キリスト教的禁欲主義を廃絶する、「第三の帝国」の早期到来を唱えるメレシュコフスキーの哲学を土台に、未来の家族関係を建設するべく努めた。一口に言えば、ふたりは、「自由恋愛」が当事者の世界観の親近性と調和した、ミニ・コミューンの建設を夢みたのだ。ふたりは52年をともに過ごした。交互に局外者とのロマンスにふけりながらも、ギッピウスの回想録によれば、「一日とて離れ離れになることなく」。

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