デニス・マカレンコ撮影/ロシア通信
1. これは近年でもっとも成功したロシア映画である。
ロシア映画としては半世紀ぶりとなるゴールデン・グローブ賞外国語映画賞を受賞(セルゲイ・ボンダルチュク監督の映画「戦争と平和」が1968年に受賞して以来)。またヨーロッパ映画賞4部門でノミネートされた他、カンヌ映画祭で脚本賞、ロンドン映画祭で最優秀作品賞を受賞している。第87回アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされているため、「オスカー」を獲得する可能性も十分にある。そうなった場合、田舎を舞台とした社会派映画としては初の快挙となる。アメリカの映画芸術科学アカデミーは、かつてこのようなロシアをスクリーンで見たことがなかった。
ズヴャギンツェフ監督は今日、ロシアでもっとも優れた監督の一人である。映画「父、帰る(Vozvraschenie)」では、2003年にベネチア国際映画祭金獅子賞と新人監督賞を受賞している。映画「ヴェラの祈り(Izgnanie)」でスウェーデンの女優マリア・ボネヴィーと共演したロシアの俳優コンスタンチン・ラヴロネンコ(「父、帰る」の父親役)は、カンヌ国際映画祭男優賞を受賞。映画「エレナの惑い(Elena)」はカンヌ国際映画祭ある視点部門で特別審査員賞を受賞している。「リヴァイアサン」はおそらく、ズヴャギンツェフ監督の最高でもっとも洗練され、妥協を許していない映画であろう。
2. これは観客の期待に応え、また欺いている映画である。
田舎の住人の絶望的な生活を描いた、長く、ゆううつで、ゆっくりとしたドラマ。そして自然は厳しく、また絵のように美しい。「父、帰る」以来、ズヴャギンツェフ監督に期待されている部分である。
主人公の運命は複雑で悲劇的。芸術レベルで製作されているどのシーンでも、隠喩や象徴を読みとれる。魅了される人もいれば、刺激される人もいる。「リヴァイアサン」には聖書のイメージがある。いまだにそれがヘビなのかクジラなのかはわかっていないが。白海の海岸では海洋動物の骨が見え隠れし、嵐の海では海洋動物の尾が水をはね、聖職者は突然主人公の前にあらわれてヨブ記を読む。ヨブ記は「リヴァイアサン」のもとにもなっている。
同時に、直接的な政治メッセージ、素晴らしい演技、現実的な会話、ブラックユーモアなど、ロシアの形而上学的映画に通常欠如している要素がある。
3. これはロシアで近年まれに見る、時宜を得た鋭い映画である。
普通の自動車修理工とその妻、未成年の息子、モスクワから来た弁護士の友人という限られた人数の仲間が、ホッブズのリヴァイアサン風に国家機関と対立するというあらすじ。市長は主人公の家と土地を好きな価格で奪おうと企てる。
あらゆるレベルの権力機構の汚職とその連関の問題だけでなく、恐るべき事柄に祝福を与える、主な倫理的権威ロシア正教会の問題など、ただシステムを批判するだけでなく、その根を分析している。
4. これは多くの支持者を得ている映画である。
ニュージーランドのジェーン・カンピオン(カンヌ国際映画祭の審査員団を率いた)を筆頭に、プーチン・ロシアの肖像としてではなく、普遍的映画として高く評価している。
政治に無関心な人にとっても「リヴァイアサン」は強力なドラマであり、痛みと思いやりのみを通じたカタルシス、古典的精神の悲劇でさえある。ズヴャギンツェフ監督のユーモア、感傷性、自然および宇宙における人間への叙事的な観点は、世界のどの国の観客にも明らかであろう。
映画のもとになっているのはアメリカ人マービン・ヒーメイヤーの実話。自分の家と土地が奪われそうになり、改造ブルドーザーを使って、脅しをかけたセメント工場の建物など、地区を破壊し、最後に自殺する。「リヴァイアサン」の結末は異なるが、アメリカとの関係や相似は消えていない。アメリカの作曲家フィリップ・グラスのオペラ「アクエンアテン」がBGMとして流れている。
5. これは政治的というより、文化的なズヴャギンツェフ監督の映画である。
映画がいかに時代に即し、差し迫っていようと、監督の解釈における国家と世界秩序に対する絶望した人間の反乱の物語は、聖書から始まり、クライストの「ミヒャエル・コールハース」を通じて、プーシキンの「駅長」、ゴーゴリの「外套」、ドストエフスキーの「貧しき人びと」、レスコフの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」、チェーホフの後期の散文全体などのロシア古典文学の最高作品に終わる世界文学史と、有機的につながっている。これらすべてが直接的または間接的に、「リヴァイアサン」に反映されている。
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