両コンサートには、テルミン演奏の日本派の代表である竹内正美氏、ロシア派の代表であるナタリヤ・テルミナ氏(テルミン博士の娘)、ピョートル・テルミン氏(テルミン博士の曾孫)が参加した。竹内氏率いる日本の楽団は、マトリョーシカ型に改造したテルミンで曲を奏でた。
竹内氏はロシアNOWの取材に対し、テルミンの演奏をどのようにして覚えたのか、マトリョーシカ型テルミンがどのようにして生まれたのかを説明した。
「私は1993年、ロシアの有名な音楽教師リディヤ・カヴィナ氏にテルミンの演奏の仕方を習うため、モスクワに来た」と竹内氏。
当時日本には、テルミンのプロ奏者が一人もいなかったという。竹内氏は日本に帰国した後、国内初のテレミニストになった。
10年後の2003年、テルミンをロシアの伝統的な民芸品であるマトリョーシカ人形に内蔵することを考案。
「日本でこの楽器を広く知ってもらうためには、ポップ・カルチャーを少し加えないといけないと思った」と竹内氏。マトリョーシカ人形は必ず菩提樹の木で制作されるが、この素材は非常に優れた音響共振器なのだという。
竹内氏はマトリョーシカ型テルミンを制作してからわずか1年で、最初のマトリョミン楽団を結成した。竹内氏自身は140のコンサートに参加し、90以上のテレビ番組やラジオ番組に出演した。
「竹内氏のおかげで、マトリョミンは短い期間で日本のテルミン文化になれた」と、ピョートル・テルミン氏はロシアNOWに話した。
竹内氏は「竹内テルミン研究所」も開設。研究所は月刊誌「テルミニク」を発行している。また会員が現在200人ほどいる「テルミンの友」協会を創設し、日本でテルミン学校網も立ち上げた。
テルミンとは
テルミンはサンクトペテルブルクで1919年から1920年にかけて、ソ連の物理学者で音楽家のレフ・テルミン博士が発明した。従来型のテルミンでは、2本の金属製アンテナの近くで奏者が手を動かすと、音が変わる。テルミンの右のアンテナは音の高さ、左のアンテナは音の大きさを調整する。
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