=ロシア通信撮影
西ヨーロッパやアメリカで1930年代に電子楽器が登場するまで、テルミンは先端的な唯一無二の楽器だった。テルミンやそのアレンジ品は、レッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズなどのレコーディングやライブといった、世界の音楽プロジェクトで幅広く使用された。
レフ・テルミンが自分の楽器を演奏
ジミー・ペイジ(レッド・ツェッペリン)がテルミンを弾く
「雪どけ」で電子楽器も許可
スターリンがソ連の最高指導者だった時代は、伝統音楽、古典音楽、民族音楽が優先され、前衛音楽、実験音楽、電子音楽は厳しい検閲にさらされた。ドミトリー・ショスタコーヴィチなどの現代主義的な作曲家は、ソ連のマスメディアで形式主義者として非難された。スターリンが死去した1953年以降、ようやく音楽への検閲が少し緩和された。
西側諸国で開発されたさまざまな技術と電子楽器の使用が許可された1960年代と1970年代には、新世代の作曲家が登場した。
中型セダンとほぼ同額だった日本のシンセザイザー
この時代の主な問題といえば、ソ連で外国の電子楽器が著しく不足していたために、新たな実験スタイルや電子スタイルの作曲がなかなかできなかったことだ。アメリカや日本のシンセサイザーを見つけるのは非常に困難で、闇市ではこれらの楽器に著しい高値がつけられていた。
例えば日本製のローランドSH-1000は、ソ連製中型セダン「ヴォルガ」とほぼ同額だった。平均月収が120ルーブルだったソ連で、その50倍以上もするシンセサイザーを作曲家が購入することはできなかった。
実験電子音楽スタジオが開設
スクリャービン博物館に1967年、実験電子音楽スタジオが開設された。このスタジオには、技術者のエフゲニー・ムルジンが開発した、初のソ連製シンセサイザーANS(アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービンの頭文字)があった。
ソ連には電子音楽の公演場所がなかったため、ドキュメンタリー映画、科学映画、教育映画などのサウンドトラックとしてしか聴くことができなかった。ソ連の作曲家のこのようなサウンドトラックは、1970年代の映画に多く使われている。
タルコフスキー監督の映画「惑星ソラリス」 エドゥアルド・アルテミエフの音楽
闇市で買い、複数のバンドで共有
1980年代に近づくにつれて、モスクワを中心とした国内の闇市では、より多くの電子楽器が売られるようになった。電子音楽のメロディーは、ソ連の公式な歌や愛国的な歌、演劇、アニメなどでも響くようになり、同時に、実験ジャズからロカビリーまでのあらゆる種類の音楽を取り入れた、ロシア・ロックと呼ばれるアンダーグラウンドな音楽も登場するようになった。
シンセサイザーとドラムはより安価で、力強くなっていった。ロシアのミュージシャンは、楽器を仲間と共有したり、物々交換をしたりしながら、家でのレコーディング用にさまざまな種類を使うようになった。複数のバンドが、ヤマハRX11やモーグ・シンセサイザーなど、同じドラム・マシーンを使うことが普通だった。モスクワ最初のニュー・ウェーブ音楽のバンドは、「ツェントル」や「ノチノイ・プロスペクト」だ。
ヴォーヴァ・シニーと思想兄弟「私の青春時代」(1985)
ソ連製アナログ・シンセThe Polivoks
コンピューターの導入
ソ連が崩壊した1991年以降、ロシアの多くのミュージシャンが海外に行くことができるようになり、先端の電子音楽のトレンドを吸収し、最新式の楽器を買い求めた。
コンピューターは、新たな電子音楽のプラットフォームとなった。
レイブ、アシッド、他のあらゆる電子音楽を専門とした、多くのクラブがロシアでオープンするようになり、モスクワの「プチュチ」クラブはレイブ、アシッド・パーティー、奇抜なファッション・ショーで有名になった。
音楽制作ソフトとネットで自宅がスタジオに
2000年代に入ると、インターネットが電子音楽の作曲と配信の中心となり、ロシアでは誰もが自分のパソコンをベースに、自分の家で電子音楽をレコーディングした。電子音楽は主流となり、「ピラツカヤ・スタンツィヤ」、「センサツィヤ」、「ミグズ」、「ゲス・フェスト」、「モシチノ」などのさまざまなフェスティバルが、ロシアの多くの都市で定期開催されるようになった。
若者は「ガレージバンド」や「フルーティーループス」などの簡単な音楽制作ソフトを使えば、自分の音楽をつくることができる。うまくいけば、ユーチューブ世代と呼ばれる人々の間で、大ヒットすることもある。
音楽制作は楽器演奏から、サウンド操作へと変わった。それでも、カールハインツ・シュトックハウゼンや他のメジャーな20世紀のミュージシャンの路線を引き継ぐ、実験音楽や前衛音楽のミュージシャンの活動も、ロシアでは続いている。
動画:テフノロギヤ「ボタンを押して」
筆者の紹介:ワシリー・シュモフ
ワシリー・シュモフは、音楽家、プロデューサー、写真・動画アーティスト。モスクワ生まれ。モスクワ初のニュー・ウェーブ・バンド「ツェントル」を1980年に立ちあげる。1990年から2008年まで、アメリカのロサンゼルスで暮らす。1998年にカリフォルニア芸術大学(MFA)を卒業。自身の写真と動画のアートの個展や団体展を多数開催。最近の写真アートの個展は、モスクワの中央芸術家会館で今年4月に行われた。6月には「ツェントル」と、フィンランド・ヘルシンキで行われたPAXフェスティバルで演奏を行った。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。