1. 砕氷船「アンガラ」
シベリア鉄道は、19世紀末に個々のセクション別に建設され、後に接続された。だがその経路上には、自然の障害物が存在した。バイカル湖である。バイカル環状鉄道が開通するまでは、シベリア鉄道の乗客はフェリーを使って湖を渡っていた。砕氷船「アンガラ」は、冬季にフェリーの航路を切り開いていたのだ。
この砕氷船はイギリスで建造され、1900年にリストヴャンカで進水し、1906年まで運用された。革命後は旅客輸送用に改修が行われ、内戦時にも活用された。現在、「アンガラ」は停泊しており、内部は博物館になっている。
2. 市内中心部の木造邸宅
イルクーツクには、市のど真ん中に多くの木造住宅が保存されている。その中には集合住宅もあれば、歴史ある邸宅もある。
中でも特筆すべきは、エンゲルス通りに立つ商人シャスティン家屋敷と、『レースの家』だろう。このように多様で素晴らしい彫刻が施された窓枠は非常に珍しい。
また、デカブリストたちに関連した邸宅も存在する。19世紀、ここにはセルゲイ・トルベツコイとセルゲイ・ヴォルコンスキーが流刑中に家族と共に住んでいた。彼らが当時使っていた私物や、書類等が保存されている。
市内から50キロ離れたタリツィ民俗学博物館では、さらに多くの住居を見ることが出来る。
3. 埋立地の隣の博物館
アレクサンドル・ラストルグエフ軍事歴史博物館は、市のゴミ処理場の近くにあり、全ての展示品は廃棄物で作られている。館内には、『トランスフォーマー』シリーズに登場するよなSFチックなマシンが展示され、地球外生命体のモンスターたちの戦場さながらの光景が作られている。だが展示の中心は、大祖国戦争中の戦闘の再現。実物の戦車や航空機、大砲等が展示されている。
この博物館の詳細は、こちら。
4. アンガラ川のニジニャヤ・ナベレジナヤ河岸通り
イルクーツクの成立は17世紀中期、シベリアの大河アンガラ川沿いに誕生した。市の中心に位置する河岸通りは、歴史の息吹を感じられる場所だ。900㍍続くこの河岸通りを歩いて行くと、通りの上にモスクワ門、神現大聖堂、市の創設者の記念像が見られる。イルクーツクを代表する景観は、まさにこの河岸通りに集中していると言えるだろう。
5. イルクーツク・クレムリンの名残、スパスカヤ教会
イルクーツクは、他の多くのシベリアの都市と同様、要塞都市として始まった。1661年にアンガラ川の川岸に始まり、20人のコサックがここで勤務していた。しかし数年後に崩壊し始めたため、現在の市の中心部近くに、新たに大規模なイルクーツク・クレムリンが建設された。
当時の建造物は主に木造であったため、火災が多く、クレムリンも例外ではなかった。その度に再建されたが、18世紀末に完全に解体することに決定し、周辺に庭園が造られた。
かつてのクレムリンの名残として唯一現存するのが、1706年建立のスパスカヤ教会である。これは、東シベリア最古の石造建造物である。
6. 石造邸宅
シベリアの豪商アレクサドル・フトロフの邸宅は、石造のテレムを思わせる。19世紀末のこのようなネオ・ロシア建築は、彼のような人々の間では非常に人気があった。設計はモスクワの建築家が行った。だが、これをはるか遠いイルクーツクに建設するのは、並大抵のことではない。この邸宅にまつわる財宝や地下道については、市民の間で今も都市伝説が語られ続けている。
もう1つ、負けず劣らず見事な石造邸宅が、市内中心部にある。商人イサイ・ファインベルクの邸宅を飾る小塔やバルコニー、壁画の映えるファサードも素晴らしいが、なにより驚かされるのは、1902年にすでにこの邸宅は水道が通り、炉によるセントラルヒーティングが完備していたことだ。イルクーツク市内に水道が敷かれたのは、それから何年も後のことである。
7. カザンの生神女教会
イルクーツク州には130以上の民族が暮らしており、市内にも多様な宗教の寺院が存在する。正教会の聖堂もあれば、カトリック教会も、仏教寺院もある。
カザン教会は、シベリアの最も印象的な教会の一つである。1892年、市民の寄付によって市の郊外に建設された。建設には最高クラスの彫刻師やイコン画家、職人たちが携わった。
ソ連時代、建物内には土産物工場があった。ようやく1980年代になって、寄付によって修復作業が始まり、現在ではふたたび礼拝が行われている。