オレンブルグのヤギの毛のショールは、その重さを感じないほど軽いが、厳しい寒さのときもしっかりと体を温めてくれる。これはすべて、ウラル南部でしか飼育されていない特別なヤギの品種による。
地元の人々が、とても暖かい製品を作るオレンブルグのヤギについては、すでに18世紀半ばにロシアの研究者たちが関心を抱いていた。この現象を最初に研究したのはウラル南部の郷土研究家、ピョートル・ルィチコフである。彼は夫人とともに、ロシア内外での、オレンブルグ・ショールの編み物に関する産業の普及に尽力した。
そして、それに続いて、品種改良家たちの研究が始まった。ウラルのヤギを他の毛用種――とりわけ中央アジアからウラルにやってきたカシミアヤギやロシア南部のプリドンスキーヤギと掛け合わせた。
ちょうど19世紀ごろになると、世界ではロシアのあらゆるもの――とりわけ伝統工芸に対する関心が高まり、ヤギの毛のショールを輸出用に大量に作るため、より多くの原料、つまり毛が必要となった。
品種改良の結果、ヤギは毛用種となっただけでなく、かなり重量の重いものになった。体重はメスで平均55キロ、オスは90キロに達した。これは世界最大の毛用種のヤギである。ちなみに2番目に大きいものもロシアの品種プリドンスカヤで、メスが45キロ、オスが75キロである。
この品種自体が国家の品種リストに含められたのは、1993年になってからだ。
南ウラルの気候は厳しい大陸性気候で、冬はマイナス40度の酷寒、夏はプラス40度の酷暑となる。冬は強い風、吹雪、湿った雪に見舞われ、夏には旱魃が起こる。
天気は1日に何度も変わり、これによりヤギはより耐久性が高くなる。ヤギは自然の牧草地を歩き、外で眠ることもある。そこで地元のヤギはこうした自然の環境に適応し、寒い気候に備え、暖かくて細い毛を生やすのである。
オレンブルグのヤギの毛のショールは、国外で開催された国際展覧会に何度も出品された。そして1862年にはロンドンで、1897年にはシカゴで、また1958年にはブリュッセルでメダルを受賞した。19世紀にはすでに外国の商人たちもこの品種に関心を示した。彼らはこのヤギをフランス、英国、オランダ、オーストラリアに繁殖のために持ち帰ろうとしたが、そこで繁殖を成功させることはできなかった。2〜3年のうちにヤギはそのような毛を生やさなくなったのである。
概して、オレンブルグのヤギは南ウラルの生活に慣れているため、他の地域でこの種のヤギを目にすることはない。
ヤギの毛は普通2〜3週間開けて、2回刈られる。最初は2月の末、そして残りは3月の半ばに刈る。これで1頭の成ヤギから400〜500グラムの毛が採れる(大きなヤギからは600グラム)。
若いヤギからはもっとも細い毛が採れる。しかし毛はもっとも短い。ヤギの毛は年齢を重ねるにつれて、太く、長くなっていく。
4月から5月にかけて、夏の暑さに耐えられるよう、ヤギの毛を少し短くすることがある。この際、1頭のヤギからは暖かい毛が350〜400グラム採れる。
オレンブルグのショールは普通は白色であることが多いが、実はこの品種のヤギのほとんどは黒色である。黒以外では、白、茶、グレー、斑のヤギがいる。糸はもちろん、染めて使われている。
一方、オレンブルグのヤギを乳のために飼っておく意味はない。オレンブルグのヤギは年間に100リットル以下の乳しか出さない(乳用種の場合は年間1000リットルほど出す)。
オレンブルグのヤギの毛そのものは糸にしやすい。しかし、そこからショールを作るためには、ビスコース素材または綿糸が加えられる。毛の割合は60%以上でなければならず、できれば70%以上が望ましい。
しかし、手芸店では、純粋なヤギの毛糸玉が売られている。職人たちは編み物をするときに、自分でそこに必要な割合で別の糸を加えるのである。
これは製品の形を維持し、製品を長持ちさせるのに必要なことである。しかも、純粋な毛でショールを編むのは物理的に困難なのである。
伝統的にこのヤギはオレンブルグ州、チェリャビンスク州、バシコルトスタン共和国、そしてカザフスタンのいくつかの地域で飼育されている。ソ連時代、これらすべてが6つのソフホーズで行われ、オレンブルグのコンビナートの職人たちが糸を紡いでいた。しかし、すでにソ連末期になると、オレンブルグのヤギに対する財政支援は削減されるようになった。
1990年代の初頭にヤギの個体数が18万5000頭だったとすると、現在はおよそ5万ほどとなっている。ユニークな遺伝子プールを守ったのは、ソ連のソフホーズをついだ地元の繁殖家たち、そしてヤギの飼育を続けている個人の飼育家たちである。
また現在、ヤギを飼育しているウラルの農家たちは、国家からの助成金を受け取っている。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。