ヴェリキイ・ウスチュグ:ロシア北方にあるもっとも「新年的な」町(写真特集)

Pavel Kuzmichev
 青空の下の古代の博物館都市は、1年の中でも、寒い季節にもっとも多くの人々を惹きつけている。というのも、この町はジェド・モローズ(ロシア版サンタクロース)の故郷なのである。

 ロシア北方には、訪れる価値のある数多くの古代の都市や居住区がある。しかし、中でもヴォログダ州のヴェリキイ・ウスチュグが特に突出した存在であることは疑いようもない。この町はヴォログダの北東450キロ、アルハンゲリスク州とのほぼ境界線上に位置している。

 この町に関する記述が最初に登場するのは1147年。つまりモスクワと同い年というわけである。しかし、実際にはここにはそれ以前から人々が住んでいた。

 スラヴの人々は、貿易に有利な地理的条件のため、この北方の地域に住み着くようになった。ここにはセヴェルナヤ・ドヴィナ川、そしてそこから簡単に白海に出ることができるスホナとユーグという2つの川の合流地点があった。そして白海に出れば、そこからヨーロッパやアジアへの道が広がっていたのである。

 数世紀前まで町はロシア北方の大々的な貿易中心地であった。この地のバザールは、モスクワとも競い合うことができるものであった。16世紀になると、貿易におけるウスチュグの意味はさらに大きなものになり、そこでイワン雷帝はこの町を、君主に日常生活のための金を与えたオプリーチニナ(特別行政)都市の一つとした。

 ウスチュグヴェリキイ(偉大な)という称号を与えられたのもこの時期である。

 一方、町は商業都市としてだけでなく、工芸職人たちの技術でも有名であった。ヴェリキイ・ウスチュグは、「モローズ・ポ・ジェスチ」(直訳すると、ブリキの上に描く霜)、銀細工の墨絵といったユニークな工芸品が生まれた場所である。これらの多くの工芸品が現在まで受け継がれている。

 ヴェリキイ・ウスチュグは本物の博物館都市である。ここには150以上の文化遺産があるが、そのうちの28が、17世紀から18世紀にかけての壮大な教会である。

 聖堂の中庭は町の中心であり、これを無視して通り過ぎることはできない。これは17世紀から18世紀にかけての教会群である。

 聖堂は河岸に立っており、そこからはスホナ川の対岸、そして古い教会が立ち並ぶ集落ディムコフスカヤ・スロボダの景色が広がっている。

 現在、ヴェリキイ・ウスチュグは、冬の観光地としてロシアでもっとも人気のある場所の一つとなっている。というのも、ここにはジェド・モローズの2つの邸宅があるからだ。町の中心にあるのが、19世紀の商人の家が置かれている一つめの家である。

 一方、ヴェリキイ・ウスチュグ近郊にあるのがジェド・モローズの郊外の領地で、ジェド・モローズはここで訪問客を個人的に迎え入れている。冬の休暇の間、ヴェリキイ・ウスチュグの鉄道駅までは、特別な観光列車が運行されている。

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