大哲学者カントの墓がロシア領にあることをご存知だろうか?

Pavel Kuzmichev, Public domain

 カリーニングラードは、ロシア領内にある古いヨーロッパのユニークな一角である。この都市は、かつては東プロイセンの一部で、ケーニヒスベルクと呼ばれていたが、第二次世界大戦後にソ連領になった。

 大著『純粋理性批判』の作者であるドイツの大哲学者、イマヌエル・カント(1724~1804)はここで生まれ、生活していた。

 カントは、ケーニヒスベルク大聖堂に接する霊廟に葬られている。1924年、この哲学者の生誕200周年を記念して、墓の上に、石柱ホールの形で外に開かれた建造物が造られた。

 現在、大聖堂の建物内には、カントの著作などを展示するカント博物館も併設されている。これは、1990年代に開館した。 

 この街に残るカント関連のメモリアルはこれだけではない。カントの銅像は、彼が晩年に住んでいた家の近くにある。また、現在、バルト連邦大学には彼の名が冠せられている。

 ちなみに、カントは一時、ロシア帝国臣民となったことがある。「七年戦争」(1756~1763年) 中のことだ。この戦役はほとんど、オーストリアとプロイセンの間で繰り広げられたが、1758年、オーストリアとザクセンの同盟国であるロシア軍が、ケーニヒスベルクに進入し、市民は、ロシアの女帝エリザヴェータに忠誠を誓った。

 そして、カント博物館には、ケーニヒスベルク大学の論理学・形而上学教授への任命を求める、女帝宛ての書簡が保存されている。この哲学者には、ロシア人学生の弟子もいた。

 1762年までケーニヒスベルクはロシアの占領下にあった。しかしその後、サンクトペテルブルク条約(七年戦争の講和条約)の結果を受けて、皇帝ピョートル3世によりプロイセンに返還された。

 ちなみに、ロシア人に関するカントの発言は、彼の『自然地理学講義』の中に見ることができる。 

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