なぜ観光客はレーニン廟を今なお訪れるのか?

観光・自然
ソフィア・ポリャコワ
 文化的体験か、共産主義へのシンパシーか、はたまた単に必須の観光スポットなのか?

 率直に言って、それはかなり退屈な体験ではないだろうか。照明が明るくないので、細かい点を確かめることさえできまい。また、ここに長い間とどまることは禁じられている。レーニンの遺体が安置されている防弾ガラス製の棺の周りを一周する間、たとえ数秒でも立ち止まることは禁止されており、警備員が直ちに退去を求めるからだ。

 にもかかわらず、首都モスクワに来訪する人の多くが相変わらずレーニン廟を訪れることにしている。そこで、我々は、彼らにその理由を尋ねてみた。

レーニンはいかにここにたどり着いたのか

 ソ連の建国者、ウラジーミル・レーニンの健康状態は、1922年に脳のアテローム性動脈硬化症のために悪化し始め、1924年にこの革命家は死亡した。当初、彼の遺体をこれほど長期間保存することなど誰も考えておらず、公の場での告別のために防腐処理が施されただけだった。

 レーニンの死から6日後、告別式が終わると、埋葬の木造の霊廟が建てられたが、人々は絶えずやって来た。指導者に防腐処理を施した医師アレクセイ・アブリコソフのおかげで、遺体は良好に保存されていたので、政府は葬儀の延期を決定した。

 木造の霊廟は急ごしらえだったから、1924年春に新たな墓所を建てることになった。一方、遺体に腐敗の兆しが現れ始めたため、党の幹部たちは、指導者を埋葬するための適切な方法を考えなければならなかった。

 3月5日、彼らは最終的に、遺体を将来の世代のために保存すべきだという結論に達した。そして、7月末までに、2人の化学者、ウラジーミル・ヴォロビヨフとボリス・ズバルスキーが、長期の防腐処理の実験を終えた。

 レーニンの遺体が再び防腐処理されている間に、建築家アレクセイ・シューセフによって、より優れた、しかし依然木造の新しい霊廟が建てられた。現在、赤の広場で見ることができる花崗岩の霊廟は、同じ建築家によって1930年に造られた。レーニンの遺体がどのくらい保たれるか誰も知らなかったが、我々は、今なおレーニン廟を訪れている。99年後、全く同じ遺体が墓所に横たわっている。

 ソ連崩壊以来、多くの人がレーニンの遺体を通常の形で改葬すべしと主張してきた。彼は、共産主義とは関係ない現代ロシアおよびその新しい理念と価値観を体現してはいない、というのが言い分だ。しかし、今のところ彼の遺体に関する決定は下されていない。 

ロシア的価値観と歴史の共通性を認識させてくれる

 インドネシアのイムドレ・ワノフさんは、この体験は、一見するよりはるかに奥深く、単に遺体を眺めるようなものではないと確信している。

 「世界の歴史と多様な文化に関心をもつ学生として、私は、20世紀で最も影響力のある人物の一人が埋葬されている場所を直接体験したいと思った。それに加えて、こうした場所の建築とその荘厳さは、この国の価値観についてのユニークな洞察をもたらしてくれる。こういう史跡を訪れることは、ロシアの豊かな歴史のタペストリーへの理解と認識を深めるのに役立つ。

 この体験は、一見するよりはるかに奥深い。それは、単に遺体を眺めることではない。歴史の重要な瞬間とつながり、多くの人がこの遺体に抱く尊敬の念を理解し、現代ロシアにレーニンが及ぼした影響の重さを体感することだ」

 イムドレさんの意見では、霊廟探訪は退屈なわけがない。

 一方、中国から来たカップルも、ほぼ同じ理由で訪問を決めたと語った。彼らいわく、ロシアと中国は、共産主義の点で共通の歴史をもっていたし、レーニンは偉大な革命指導者だった。体験自体は、特別なものとは言い難いが、歴史に満ちたこの場所を体感するために参加した、と。彼らは長蛇の列に並んだことを後悔していなかった。

アタテュルク廟が一つの方向を示唆?

 トルコ出身のデニズさんは、出張でモスクワを訪れた。レーニンは歴史上重要な人物だと彼は信じており、この霊廟を訪れることにした。彼は、レーニンに関する著作もよく読んでいて、実際、今回の訪問が気に入ったので、友達にも勧めたいと言っている。しかし彼は、霊廟を移転し、祖国と同様に、国の主要な広場には置かない方がよいのではないかとも考えている。アンカラのアタテュルク廟は、市中心部にかなり近いものの、主要なクズライ広場にはない。

 やはりトルコ出身のベルケさんは、ロシア訪問は2回目で、2回とも霊廟を訪れたという。初めて一人で来たとき、今度は夫と息子たちにこの国を見せたいと思ったそうだ。彼女は、霊廟自体にはとくに興味深いものはなく、大した経験ではなかったと認めたが、レーニンは非常に重要な歴史的人物だと考えている。だから、モスクワ訪問に際しては、やはりここも訪れるべきだと彼女は言う。

 公平を期すために言うと、すべての観光客がこの霊廟を“見どころリスト”に入れているわけではない。我々は、アラブ首長国連邦のドバイから来た二人の女子をつかまえた。彼女たちは、果せるかな、レーニン廟に向かっていたからだ。ところが、二人は、その建物の正体をまったく知らなかったことが分かった。この日は、二人にとって初めてのモスクワ訪問の初日で、ただモスクワのクレムリンと赤の広場を見たいだけだった。

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