ピョートル1世の勅令により、この都市が創建されたのは1723年11月18日でのことある。しかし、現在、公式の創建記念日は8月の第3土曜日に祝われている。エカテリンブルクという名称は、ピョートル1世の皇后であったエカテリーナ1世にちなんでつけられた。
エカテリンブルクの歴史は、街の中心部に作られた製鉄所から始まった。この製鉄所は1808年まで稼働していた。またこの街では、19世紀末まで、ロシア帝国のほとんどのコインが鋳造されていた。古い工場があった場所は現在、複数の博物館が並ぶ歴史広場となっている。
ソ連時代、エカテリンブルク(1924〜1991年にかけては、革命家ヤコフ・スヴェルドロフの名をとってスヴェルドロフスクと呼ばれた)は大規模な産業中心地となった。第二次世界大戦時には、伝説の戦車T–34が製造され、その後は掘削機、油圧プレス機などが作られた。現在もエカテリンブルクは重工業の都市となっている。
街は主にソ連構成主義の建物で形作られている。ここでは、1991年、ウラル唯一の地下鉄が誕生した。地下鉄は工場地区ウラルマシと歴史地区、そして近郊を繋いでいる。ちなみに、エカテリンブルクの地下鉄では、新しいカードはもちろん、モスクワ地下鉄の古い金属製のトークンも使用できる。もし家のどこかで、トークンを見つけたなら、ここでなら使えることを覚えておくといい。