マクシム・ゴーリキー記念文化と休息の中央公園、これがこの公共施設の正式名称だが、人々の間ではもっぱらゴーリキー・パークと呼ばれている。
首都の中心部からやや南西に位置し、モスクワ川の湾曲部に沿うように広がっている。
現在、ゴーリキー公園は広大な緑地と、ニスクーチヌィ庭園、ムゼオン芸術公園を含む220㌶近い面積を有する。
ゴーリキー公園の歴史は、ニスクーチヌィ庭園から始まる。18世紀、モスクワ川右岸にはゴリツィン家、オルロフ家、トルベツコイ家などロシアの名門たちの郊外屋敷が建ち並んでいた。トルベツコイ家の屋敷には巨大な庭園が拡がり、この地を好んで散歩したモスクワの上流階級向けに様々な娯楽が提供されており、そこからニスクーチヌィ(退屈しない)と呼ばれるようになった。
これらの土地をニコライ1世が次々に買い上げ、1820~30年代にニスクーチヌィ庭園として整備し、夏季用の劇場も建設した。
革命後、ニスクーチヌィ庭園は国有化され、一般に公開される。1923年、この場所で初の大規模な農業・手工業博覧会が行われた。こうした博覧会のためにVDNKh(ソ連国民経済達成博覧会)が建設されるのは、ずっと後のことである。
博覧会の「機械と道具」パビリオンとして建設された、六面体の構成主義建築の建物が残る。現在、この建築の修復作業を現代美術館「ガレージ」が行っている。
後の公園の設計は、アヴァンギャルド建築家のコンスタンチン・メーリニコフが主導し、エル・リシツキー、アレクセイ・シューセフ、アレクサンドル・ヴラソフら革新的建築家らが参加した。
有名なメイン・エントランスの門は1950年代にゲオルギー・シューコが設計した。
1928年8月12日、この地に文化と休息の公園が整備された。ソ連でも最も初期に整備されたこの種の公園の1つであり、カフェ、ダンス場、運動場、ハンモックなど、労働者の休息に必要な設備が整えられた。また、文化的な余暇を過ごすことも求められた。
労働者向けに「口頭新聞」が最新ニュースを読み上げ、宣伝隊が活動した。
1934年に2万人収容の屋外劇場「緑の劇場」がオープンし、演奏や演劇、サーカスなどが催された。
1932年、公園はソ連を代表する作家マクシム・ゴーリキーの名を冠せられた。
しかも、まだゴーリキーの存命中に名づけられた。もっともゴーリキー自身、存命中に生まれ故郷のニジニ・ノヴゴロドがゴーリキー市に改名されたのを快く思わなかった。当時のソビエト政権はゴーリキー崇拝とでもいうべき現象を作り出しており、ソ連の他の都市でもゴーリキー通りやゴーリキー公園、ゴーリキー広場などが次々と誕生していた。
1930年代、ソ連はパラシュート・スポーツのブームを迎えていた。そしてゴーリキー公園にも、パラシュートタワーが登場する。かなり人気のアトラクションとなり、誰でもタワーからパラシュートでジャンプしたり、専用の敷物に乗って、らせん状の滑り台を楽しめた。
1950年代にタワーは危険だとして解体されたが、その頃にはソ連全土や国外にまで同様のアトラクションが広まっていた。
ソ連崩壊後に生まれた最初の世代の子供達にとって、ゴーリキー公園は綿アメやドーナツ、そして何よりアトラクションの思い出と結びついているだろう。
ソ連時代にも、ごく単純なメリーゴーランドはあったが、1990年代から2010年代初頭まで、公園内には多数のアトラクションが稼働し、独自の「ディズニーランド」的な遊園地となっていた。
ジェットコースター、お化け屋敷、ウォータースライダー「ナイアガラ」、トランポリン、「フライングマシーン」、回転タワー、池の上のターザンロープなどなど。また、大小2つの観覧車もあった。
00年代初め頃にアトラクションの多くは撤去され、ソ連時代からのパビリオンも閑散として、ゴーリキー公園はかなり寂れていた。2011年5月から大規模な改修工事が開始され、モスクワ随一の現代的でおしゃれなスポットに生まれ変わった。景観デザインが考慮され、自転車道や運動場、新しいカフェがオープンし、初のコワーキングスペースも登場。他に先駆けて無料公共Wi-Fiが整備されたのも、ゴーリキー公園である。
ソ連時代、公園の道路は冬季には氷を張ってスケートで滑れるようにされた。しかし2011年には、当時ヨーロッパ最大の人口氷スケートリンクが開設された。初めて、零下の気温を待たずにスケートが楽しめるようになり、リンクは3月半ばまで営業した。
道路とリンクを合わせた面積は15000m2に及ぶ。BGMが流れ、紅茶やグリューワインを提供する店舗、暖かい更衣室やスケート靴の貸し出しなども完備。
2012年、最も影響力のある美術施設がゴーリキー公園に移転してきた。ダリヤ・ジューコワとロマン・アブラモヴィチが2008年に開設した現代美術館「ガレージ」である。この現代美術館が、ゴーリキー公園で文化に浸りたいモスクワ市民の憩いとなっており、様々な展覧会や講座を開催している。
美術館が入居するのは、かつてレストラン「四季」だった、1968年建設の建物。オランダの有名建築家レム・コールハースと彼の建築事務所OMAが「ガレージ」のために改修した。半壊状態だったソ連時代の建物は現代的な博物館に生まれ変わりつつ、旧建築の保存状態の良い部分を大事に残して、新しいデザインとも調和させることに成功した。ソ連時代のモザイクパネルは、美術館のシンボルの1つとなっている。
なお、正確には、ゴーリキー公園で「ガレージ」が最初に入居したのは臨時のパビリオンで、日本の建築家・坂茂のデザインによるものだった。高さ6㍍の楕円形の建物で、紙製の筒状の支柱で構成されていた。
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