想像してみてほしい。初めて訪れる街に行くにあたって、その街の交通機関を調べていると、地下鉄の公式サイトを見つけた。しかし実際にその街に行ってみると・・・、地下鉄なんてどこにも存在しないなんてことがあったらどうだろう。
ロシアで地下鉄が走っているのは7都市。いずれも100万人都市である。しかし、そんな早くて便利な交通機関が自分の街にも作られるという希望をまだ捨てていない人は多い。しかしそれがなかなか実現しないと分かり、市民たちは自分で地下鉄を考えだし、それを街の見どころにまでしてしまった。そんなこと有り得ないと思ったあなた、ぜひ続きを読んでみてほしい。
今から数年前、ロシアのメディアがロシアのルーツを持つニューヨーク在住の女性に起こった悲喜劇的な事件について伝えた。彼女は知り合いを訪ねてバルナウル(アルタイ地方)に行き、インターネットで地下鉄の路線図を見つけた。散々街を歩いたあと、彼女はその地下鉄はフィクションに過ぎないということを理解し、ウラジーミル・プーチン大統領宛にこれは「全ロシア規模の大嘘だ」と手紙を書いた。
この女性を見つけ出すことはできなかったが、彼女が大統領に書いた手紙の内容がまだネット上に残っていた。
バルナウルの「地下鉄」には本物そっくりの公式サイトがあり、ロシアのSNSフ・コンタクチェやツイッターにもパブリックページがある。これらはすべて街のひどい渋滞にうんざりしたバルナウルの市民、ダニル・チュロフさんが考え出したものだ。
チュロフさんは地下鉄の路線図を作り、それをエイプリルフールのジョークとして自分のブログで公開した。そしてその話題は大きく広まり、ロシアのメディアでも取り上げられた。そこで彼はそのプロジェクトをさらに発展させようと考えた。まもなくすると彼が作った地下鉄のページには数千人のフォロワーがついた。「地下鉄」ページは新しい駅の建設についての記事や料金が8ルーブル(およそ14円)まで値下げされたというニュースや新年の運行予定などを伝えている。バルナウルに地下鉄なんてないというような書き込みがあると、すぐに「わたしたちはずっと乗ってますよ」と抑制が入る。
チュロフさんが考え出した伝説によれば、1972年に地域では穀物の収穫が記録的なものとなり、レオニード・ブレジネフ書記長は労働者を奨励するためここに地下鉄を建設するよう命じた。そして懸命な作業が数年行われた後、最初の6つの駅が開通し、1980年代末には路線がベッドタウンにまで延びた。建設はソ連崩壊後も継続され、地下鉄にはスウェーデン大使やドミトリー・メドヴェージェフ首相、ウラジーミル・プーチン大統領も視察に訪れ、地下鉄の発展のために数百万ルーブルを拠出した。
もちろん、これらはすべて実際にはなかったことである。しかし誰でも夢を見るだけなら自由なのである。
現在この空想上の地下鉄のサイトは機能していない。フ・コンタクチェ内のグループへの最後の書き込みは2022年となっている。またチュロフさんはメッセージにも返信していない。
ノヴゴロド州の小さな街は、歴史あるイヴェルスキー修道院を訪れたり、ヴァルダイ湖で休暇を楽しむ観光客に人気がある。2003年、街のポータルサイトは都市の観光名所を紹介するガイドブックを編纂することになったのだが、それを地下鉄の路線図の形にデザインした。そこで生まれたのがこのような駅の説明がある地図が掲載されたサイトである。
訪れた観光客の中には地下鉄が本物ではないということを理解できなかった者もいた。「わたしはヴァルダイに住んでいるが、生まれてから一度も地下鉄の駅を見たことなどない」とサイトの利用者はコメントしている。「週末にヴァルダイを訪ねたが地下鉄がなかった!」と憤慨する観光客もいる。
しかし地元の企業家たちはこのアイデアをうまく利用し、乗車のためのジェトン(トークン)を発売した。「地下鉄」は市政府にも気に入られ、ヴァルダイには最近、印のついたマンホールが登場、さらには地下鉄駅「ホワイトハウス」、「ジモゴーリエ」、「市内」への「入り口」という標識までできた。
*ヴァルダイ地下鉄のフ・コンタクチェ
タタールスタン共和国の空想上の地下鉄は小さいながらも現実的なものである。プロジェクトの考案者は明らかになっていない。地下鉄の公式サイトによれば、建設は1975年に「カマズ(ロシア最大の自動車工場)の労働者を誘致するために」スタートした。現在、線路はおよそ20キロに延び、工場の半数の職員が地下鉄を使っている。路線図には13の駅が描かれ、そのうちの3駅は建設中となっている。ちなみにサイトでは地下鉄の駅の写真まで掲載されており、それを見ているとナーベレジヌィエ・チェルヌィには本当に地下鉄があるのではないかと思わされるほどである。
*ナーベレジヌィエ・チェルヌィ地下鉄のフ・コンタクチェ
リペツクの「地下鉄」は2002年に作られた。しかもこの地下鉄は、50万人の人口を持つこの街の実際の公共交通機関の非公式サイトにコーナーが設けられていた。
地下鉄の路線図はモスクワのそれを縮小したような感じのもので、環状線と放射線状のラインが交差する形となっている。サイトではリペツクがロシアの産業中心地を作ろうとし、すでにいくつかの地下鉄駅を作ったものの、第二次世界大戦によってその後、発展させることができなくなり、最終的にすべてが秘されることとなったというファンタスティックな話を読むことができる。
*リペツク地下鉄のフ・コンタクチェ
ロシア南部の小さな街に地下鉄を贈ったのはペテルブルグ市民のウラジーミル・カリーニン。コレノフスクで幼年時代を送ったカリーニンは、「街の人々の生活をよりよくし、せめてヴァーチャルで地下鉄を作りたかった」のだそうだ。
彼のサイトには地下鉄は2012年に開通し、この地域で初の地下鉄となったとある。路線図には3路線が記され、18の駅が作られている。路線図はどこの窓口でも無料でもらうことができ、しかも案内図はヒンディを含む12の言語で用意されているとのこと。コレノフスクの地下鉄に関するニュースはフ・コンタクチェでも読むことができる。とりわけフォロワーを喜ばせているのは、料金が値上がりしないこと(一回の乗車料金はかつてと同じ、ジェトン1個)と新たな駅が開通していることである。
2012年にはカルーガにも「地下鉄」が開通。2つの路線と乗り換え駅が1つあるという。同様の路線図はモスクワ地方のポクロフカ村でも作られている。
また極東のマガダンでも3路線を持つ地下鉄が考案されている。
空想上の地下鉄を作るというアイデアはクラスノヤルスクのデザインスタジオSTAGDIにもインスピレーションを与え、そこでシベリアのいくつかの都市の地下鉄が考案された。デザイナーたちは「地下鉄の幸福」として、ハンティ・マンシースク、チタ、ブラゴヴェシェンスク、イジェフスク、ペトロパヴロフスク・カムチャツキーの地下鉄路線図のアイデアを紹介している。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。