第一級のパイロットであるセルゲイ・セミョーヌィチェフは現在、ロシア陸海空軍志願支援協会の航空・宇宙学中央会館で勤務している。ちょうど博物館の建物の向かい側にかつてヴヌコヴォ空港とシェレメチェヴォ空港までのヘリコプタータクシーに乗車できる空港があった。そして1966年にセルゲイはこのタクシーを使う機会に恵まれたという。
それはどのようなものだったのか?
「わたしは最終学年の学生で、その先の進路について考えているところでした。そしてヴヌコヴォ空港所属の訓練部隊に入ることにしたのです。そのためには、ヴヌコヴォに行って、いつ書類を提出すればいいのかについて訊きに行く必要がありました。家のそばからトロリーバスやトランバイ(路面電車)に乗れば、半時間ほどで空港まで行けました。当時モスクワでは、今のような渋滞はなかったからです。しかし、自分が航空機に乗るというのは一体どのようなものだろうかと興味津々で、ヘリコプタータクシーを使うことにしたのです」。
トランバイで空港まで行ったセルゲイはそこでヘリコプターの乗り場を見つけたという。乗り場には小さな小屋があり、中に窓口があった。チケットは2ルーブル。バスでヴヌコヴォまで行く場合の料金は1ルーブルほどであった。一方、子どもに対しては、他の交通手段と同じような割引が適用された。つまり12歳以下は半額、5歳以下は無料だった。
ヘリコプタータクシーに使われていた機体は、Mi4PとMi8Pで、1時間おきに運行された。セルゲイは言う。「ヘリコプターの操縦席は客室の上にありました。天井の丸い扉が開いて、2人目のパイロットがわたしたちの方を見て、出発します!と言ったのを覚えています」。
「わたしの前には大量のカゴを持ったおばあさんが座っていました。持ち込み荷物は20キロまでだったのですが、おばあさんはあまりにたくさんのカゴを持っていて、客室は満員ではないというのに、足を縮めなければならないほどでした。ヘリコプターのスピードはそれほど早くなく、時速150キロくらいでした。15分ほどでわたしたちはヴヌコヴォに着きましたが、道中、地上150メートルの高さからモスクワを眺めることができました。客室の騒音はとてもひどく、揺れも強かったですが、フライトそのものはとても気に入りました」。
普通のタクシーよりも安かった
当時の物価から見れば、ヘリコプタータクシーはモスクワ市民にとって、比較的リーズナブルであった。当時の平均収入は120ルーブルくらいだったが、普通のタクシーはそれよりはるかに高かったのである。同じ時期、ヘリコプタータクシーの空港があった地下鉄ディナモ駅のあたりからヴヌコヴォ空港までのタクシー代は5〜6ルーブルもした。
にもかかわらず、ヘリコプタータクシーはそれほど人気がなかった。当時、市内には渋滞はなく、また空を飛ぶことに対して恐怖心を持つ人が多かったのである。それに地下鉄ディナモ駅に行く必要があり、わざわざ行かなければならない人も多かった。さらに運行間隔がかなり大きく、また天候によって変更されることも多かった。
なぜ廃止されたのか?
ヘリコプタータクシーは、運営の採算が取れないことや需要がないことなどを理由に1971年に廃止された。観光客を乗せたヘリコプターツアーや新婚カップルの婚姻登録を上空でするツアーなどを企画したが、なかなか定着しなかった。
セルゲイは次のように述べている。「ヘリコプターは、特にメンテナンスという観点から見て、とても高価なものです。フライト料金はわずか2ルーブルでしたが、客室が満員になることはありませんでした。つまりエアタクシーは採算が取れなかったことは明らかです。利用したのは、わたしと同じように、ヘリコプタータクシーに興味を持った人だけだったのだろうと思います。多くの人がヘリコプタータクシーなんてものの存在すら知らなかったのではないでしょうか。空港があって、その向こう側に広大な草原があったものの、一体どれくらいの人が、そこにあるヘリコプターに気がついたでしょうか?!」
またモスクワはその頃、上へ上へと建設されるようになっており、高層ビルや塔、アンテナなど、飛行を邪魔し、安全に影響を与えるものがあまりにも多くなっていた。そしてモスクワ上空の飛行は禁止された。現在、モスクワ上空で見ることができるのは、特別飛行を行う非常事態省やロシア内務省のヘリコプターだけである。