これまで何人のロシア人宇宙飛行士が宇宙任務で死亡したか(インフォグラフィック)

1971年6月6日。バイコヌール宇宙基地の発射台の「ソユーズ11号」。Vladimir Musaelyan/TASS// 訓練船に乗る宇宙船「ソユーズ11号」の乗員。 Aleksandr Mokletsov/Sputinik

1971年6月6日。バイコヌール宇宙基地の発射台の「ソユーズ11号」。Vladimir Musaelyan/TASS// 訓練船に乗る宇宙船「ソユーズ11号」の乗員。 Aleksandr Mokletsov/Sputinik

 宇宙任務の最後の大事故が起こったのは1971年だ。

 最初に断っておく。宇宙滞在中に亡くなった宇宙飛行士は一人もいない。任務中に亡くなったとしても、それは地球の大気圏内のことであり、船内の気密性が破れたり、パラシュートが上手く作動しなかったりしたことが原因だ。 

 ソ連の宇宙飛行士で任務中に亡くなったのは計4人、最後の死亡事故が起こったのは1971年である。

 しかし世界全体で見ると、亡くなった宇宙飛行士の数は18人に上る。

 圧倒的多数の宇宙飛行士が死亡しているのは米国による宇宙任務だ。1986年のスペースシャトル「チャレンジャー号」の事故では7人の米国人宇宙飛行士が亡くなった。事故は打ち上げ73秒後、高度14キロメートルで起こった。シャトルはまだ地上から見え、世界中の何百万人もの人が中継映像を見守る中での出来事だった。片方のブースターが留め具から外れ、燃料タンクを破壊したことが原因だった。

「チャレンジャー号」最後の打ち上げと爆発の瞬間

 2度目の悲劇が起こったのは2003年、スペースシャトル「コロンビア号」が着陸16分前、大気圏の厚い層に突入した瞬間に大破した。6人の米国人宇宙飛行士と一人のイスラエル人専門家が搭乗していた。調査委員会は、事故の原因が左主翼の外部耐熱層の破損であることを突き止めた。シャトルの打ち上げの際に液体酸素タンクから剥がれた断熱材の塊が直撃していたのだ。

 

宇宙初の死亡事故

 しかし宇宙初の死亡事故が起こったのはソ連の「ソユーズ1号」だった。ウラジーミル・コマロフは宇宙開発初期の飛行士の一人で、史上7人目の宇宙飛行士だった。

ソ連の宇宙飛行士、宇宙船「ボスホート1号」の船長、ソ連邦英雄ウラジーミル・コマロフ

 1962年は米ソ宇宙開発競争の真っ只中で、ソ連の宇宙計画指導部は米国に勝つためあらゆるチャンスを狙っていた。同年、月を周回する宇宙船「ソユーズ」の設計が許可され、5年をかけて開発が行われた。この時までに次世代の宇宙船「ソユーズ2号」の建造が終わっていた。コマロフは唯一無二の任務を託された。彼が船長を務める宇宙船「ソユーズ1号」と、続けて翌日に打ち上げられる「ソユーズ2号」のドッキングだ。しかし任務は失敗した。

 打ち上げ当初からコマロフの乗った「ソユーズ1号」に異常が起こっていた。まず太陽光パネルの一枚が開かなかった。それから宇宙船を太陽の方向に向ける指示が上手くいかず、さらには短波無線が故障した。宇宙飛行士に着陸へ向かうよう指示が出された際には、機械が逆噴射を「禁止」した。コマロフは何とか船を制御し、危機は去ったかに思われた。しかし降下の最終段階でパラシュートの吊り紐が絡まったのだ。秒速約60メートルの速度で落下した「ソユーズ1号」は地面に衝突して爆発した。

 「コマロフの身に起こったことは、我々システム開発者のミスだ。我々が彼を送ったのは時期尚早だった。『ソユーズ』は仕上がっていなかった」と主要な設計者の一人だったアカデミー会員のボリス・チェルトークは話している。ウラジーミル・コマロフを宇宙に送るまでに、「ソユーズ」は3回無人飛行を行ったが、いずれも問題があった。「我々は少なくとももう一度、問題のない本当の打ち上げを行うべきだった。例えば人形を乗せて。そして完全な確信を得るべきだった」とチェルトークは悔いていた。

 

「ソユーズ11号」の事故

バイコヌール宇宙基地。発射台の宇宙船「ソユーズ11号」

 4年後、もう一つの大事故が起こった。宇宙から戻る途中、宇宙船「ソユーズ11号」の気密性が破れ、乗っていた3人の宇宙飛行士、ゲオルギー・ドブロヴォリスキー、ウラジスラフ・ヴォルコフ、ヴィクトル・パツァーエフが地球に着くまでに死亡したのだ。

 乗員は世界初の宇宙ステーション「サリュート1号」とのドッキングを行うことになっていた。1971年6月、彼らは予定通りドッキングを行い、船内ですべての必要な作業を終え、地球に帰還する指示を受けた。「ソユーズ11号」の船室内の気圧、温度、すべての機器が正常で、地上との連絡も安定していた。飛行は順調だったが、高度150キロメートルで宇宙船との通信が突如途絶えた。しかし飛行士らを乗せた宇宙船は予定通りの降下を続けていた。船は大気圏に突入し、予定通りのタイミングでパラシュートが開き、軟着陸用のエンジンが作動した。そして「ソユーズ」は予定通りの場所に着陸した。捜索班が現場に到着すると、カプセル内の座席で乗員が死亡しているのが見つかった。

訓練船に乗る宇宙船「ソユーズ11号」の乗員。船長のゲオルギー・ドブロヴォリスキー(左)、試験技師のヴィクトル・パツァーエフ(中央)、航空機関士のウラジスラフ・ヴォルコフ(右)。

 分かったのは、高度150キロメートルで船内の気圧を保つ換気用の弁が開いたということだった。実際には高度4キロメートルで開かなければならなかった。乗員は問題を理解し、「漏れ」を止めようとしたが、40秒後には船内の気圧が下がり、宇宙飛行士は意識を失って間もなく亡くなったのだった。宇宙服を着ていれば助かっただろうが、「ソユーズ11号」は宇宙服を着たままだと3人の宇宙飛行士が乗ることができなかった。

 

宇宙飛行士の最も多い死因は何か 

ソ連の切手。1971年。G.T.ドブロヴォリスキー、V.N.ヴォルコフ、V.I.パツァーエフ

 「ソユーズ11号」の乗員の死亡事故は、ソ連とロシアの宇宙飛行の歴史を通じて最も悲劇的なものだった。だが世界で最も多くの宇宙飛行士が亡くなっているのは、宇宙任務中ではなく、地上だ。ロケットの打ち上げに失敗したり、打ち上げに向けた試験や訓練中に事故に遭ったりすることが多いのだ。少なくとも300人以上が地上の事故で死亡している。 

 ロシアの研究者らは、宇宙に行って無事に帰ってきた宇宙飛行士の死因として最も多いものを調べた。分析対象は1960年から2018年までのデータで、この間に118人のソ連人・ロシア人宇宙飛行士が少なくとも一回の宇宙飛行を行い、その3分の1近く(37人)が観察終了時点で亡くなっていた。

 宇宙飛行士の死因の第1位は心血管疾患と癌だった。なお死因の中でトップは心疾患だが、宇宙に長時間滞在した人ほど癌を発症する割合が高かった。

 研究者らは、この差は統計学的に有意なものではないが、「懸念される」と指摘している。癌のリスクは環境放射線の増加と結び付いているからだ。

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