1930年代、ソ連の技師は全翼機タイプの「尾のない」飛行機を作る実験をしていた。結果的に彼らは世界初の全翼機を開発した。プロジェクト名はKhAI-3だ。
KhAI-3の模型
Nikolay Kuleshov/TASS「『尾のない』飛行機の長所は、機体の重量を削減し、飛行中の空気抵抗を減らせることだ。この長所がある一方で、飛行中の機体の操作性は低くなる」と雑誌『独立軍事評論』のドミトリー・リトフキン編集長は話す。
彼によれば、当時の技師はこのような小型機が「空飛ぶバス」として人々が自由に使える安価の大衆航空輸送手段となると考えていた。こうしてソ連は全国の航空機設計者に最大積載量1トン程度、平均速度時速120キロメートルの飛行機を作るように指示を出した。
KhAI-3はそのすべてを体現していた。
「全翼機タイプの『尾のない』飛行機は速度の遅い飛行機だった。このタイプを採用して、燃料をあまり消費せず、離着陸の条件を選り好みしない安価な機体を作ることが想定されていた」と専門家は続ける。
KhAI-3の中身は次のようだった。12席の客席が2列に並び、乗客はカプセルかコックピットのようなものに収容された。
機体は典型的な全翼機タイプで、乗員と貨物室、燃料タンクは主翼の構造内に配された。
同時にKhAI-3の全長は5.8メートルしかなく、エンジンの馬力はわずか110馬力だった。したがって、最大量の2トンの貨物を積んだ状態では時速130キロメートルでしか飛べなかった。
KhAI-3の最初の試作品の試験は1936年9月に行われることになった。飛行機は最大量の貨物を載せた状態で良好な安定性と操作性を示した。
「KhAI-3の審査委員会の決定は肯定的だったが、機体を洗練・強化することも決まった。エンジンを追加し、操作性を高めるために機体を改良することになったのだ」とリトフキン氏は言う。
彼によれば、同機の改良版は1930年代末に登場するはずだったが、資金不足と経済危機によりプロジェクトは延期されることになった。しかし第二次世界大戦が始まり、ソ連指導部は一般市民向けの大衆旅客機の製造を実現することができなくなった。
このタイプの飛行機は世界でも民間機には採用されず、むしろ多くの試験がなされたのは軍においてだった。
ドイツは1943年に世界初のジェットエンジンを持つ大型全翼機ホルテンHo229戦闘爆撃機を開発した。戦後、この飛行機の設計者らはアルゼンチンに移って類似のモデルを作ったが、いずれも試作機止まりだった。
1930年以降、全翼機は米国のノースロップ社によって盛んに試験と開発が行われた。同社の最初の全翼機の試作機は第二次世界大戦中にノースロップN-1M爆撃機とXP-56戦闘機「ブラック・ブレット」として誕生した。いずれも欠点が多く、プロジェクトは試作段階で終わった。
米国の設計者が全翼機で成功を収めたのは1970年代末頃のことだった。新しい航空機材料の登場により、設計者は全翼機にステルス性能を持たせることに成功した。
現在全翼機を採用しているのは軍だけで、民間メーカーは古典的なタイプの機体を好んでいる。結局旅客輸送には全翼機よりもこちらの方が適しているからだ。
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