なぜソ連は原子力戦略爆撃機を諦めたのか

Anatoly Sidelnikov/TASS
 何年間も空を飛び続けられる飛行機のプロジェクトは打ち切られが、21世紀初めに新しい姿で蘇った。

 20世紀半ば、ソ連は原子力技術の開発に活発に取り組み始めた。ミサイルや爆弾、潜水艦など、あらゆるものを原子力にしようとした。飛行機も例外ではなかった。

 1950年代、ソ連の2人の主導的な航空機設計者、ミャシーシチェフとツポレフに原子力推進式の戦略爆撃機の開発が任された。この飛行機はソビエト軍で最も強力かつ寿命の長い兵器となるはずだった。

 

Tu-120 

ヴォロネジ航空工場

 原子力エンジンを持つ最初の戦略爆撃機となるはずだったのがTu-120だ。プロジェクトでは、同機は50年代当時の高射砲が届かない高度数千メートルから敵国に原子爆弾を投下することになっていた。

 Tu-120の翼には当時登場したばかりのターボジェットエンジンが2基のあった。動力は飛行機後部、操縦席から最大限離れたところにある原子炉で生み出された。乗員は原子炉の放射線から身を守る特殊なカプセルに入らなければならなかった。

 Tu-120は古典的な低翼機で、外見はソ連の戦略爆撃機Tu-160「ベールイ・レーベチ」(「白鳥」)に似たものになるはずだった。Tu-160は今でも軍で運用されており、最近全面的な近代化改修を経て世界最高水準の飛行機となった。Tu-160についてはロシア・ビヨンドのこちらの記事で詳しく知ることができる。

 原子炉と2つのターボジェットエンジン、機体の構成により、Tu-120は自由滑空爆弾やミサイルを最大5トン搭載できる予定だった。

 しかし国防省の最高司令部は最初の試作品の製造段階でプロジェクトの凍結を決めた。なぜだろうか。

 

プロジェクトが打ち切られた理由

1989年に原子力潜水艦「コムソモレツ」は船内火災のためノルウェー海の水深6000メートルの底に沈没した。

 専門家によれば、この飛行機には航空機として許容できない一連の技術的な欠点があったという。

 「原子炉は始動準備に数週間を要する。例えば原子力潜水艦が航海に出る際には乗員は原子炉の始動と安定化、制御に関する複数の作業を行う。飛行機ではこれは容認できない。飛行機には即応性が求められ、指示を受けてから15分後には離陸しなければならない」と雑誌『独立軍事評論』のドミトリー・リトフキン編集長は話す。

 2つ目の欠点は、空中で原子力エンジンが破損した際の危険性だ。 

 「もし原潜が海底に沈んでも、海底に留まって誰にも迷惑をかけない。しかしもし原子力エンジンを持つ飛行機が街に落ちたら、チェルノブイリ原発事故の時のように土地の放射能汚染が起こる」と編集長は指摘する。

 彼によれば、ロシアと米国は海底に原潜や原子力推進魚雷を沈めてきたという。

 例えば原子力潜水艦「コムソモレツ」だ。1989年に船内火災のためノルウェー海の水深1680メートルの底に沈没した。現在も沈んだままで、軍に引き上げの計画はない。 

 前出の専門家が強調するように、世界の原子力戦略爆撃機のプロジェクトはいずれも実現することがなかった。

 

他国の原子力実験

 「米国も我々同様、原子力エンジンを持つ戦略爆撃機を作ろうとしていた。そして我々同様、次のことを予見して頓挫した。遅かれ早かれ放射能が機内に漏れ出して、その時点で機内にいる乗員全員が死亡してしまう。その後、この『核爆弾』は空から地上に落下し、世界に新たな悲劇をもたらす」とリトフキン氏は言う。

 彼によれば、米国がこうした飛行機の開発から手を引いたのはソ連と同時期で、その後は大陸間弾道核ミサイルの開発に集中した。こうして軍拡競争に火が付いたという。

 ロシアが新たな原子力推進式の飛翔体の開発に立ち返ったのは2010年代末のことだ。ロシアはTu-120の技術を基にした新技術を世界に披露した。

 

この技術は今どこで使われているか

ミサイル『ブレヴェスニク』の発射実験

 「Tu-120の技術は現在ミサイル『ブレヴェスニク』で用いられている。作動原理は元祖の飛行機と同様だ。『ブレヴェスニク』は地上から攻撃指示が来たり、基地に戻ったりするまで何年も飛行し続ける」とリトフキン氏は言う。

 また現在ロシアは原子力エンジンを持つ宇宙船「ブルラーク」の開発に取り組んでいる。開発者らのコンセプトによれば、この船は原子炉を利用して遠い宇宙空間を探査できるという。

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