日露合作の超大作、映画『おろしや国酔夢譚』を振り返る

1992年9月1日、東京の街頭に映画『おろしや国酔夢譚』の宣伝バナー

1992年9月1日、東京の街頭に映画『おろしや国酔夢譚』の宣伝バナー

Natalya Golovnina/TASS
難破、ロシアへの漂着、シベリア横断、10年に及ぶ異国生活の末、僅かな生き残りが帰国…江戸時代に、そんな壮絶な体験をした日本人たちと、彼らが出会ったロシア人たちの実話をもとにした映画が1992年に公開された。日露の大物俳優を多く起用したこの超大作を振り返ってみよう。

 井上靖の歴史小説『おろしや国酔夢譚』は1968年に刊行され、翌年には日本文学大賞を受賞している。江戸時代に遭難した日本の船乗りたちがロシアに漂着し、10年もの歳月を経て日本に帰国を果たした実話をもとにしている。

井上靖、1987年5月14日、パリで文学賞を受賞

大規模ロケの意欲作

 1992年6月には日露合作映画『おろしや国酔夢譚』(ロシア語題は『Сны о России』)も公開された。

 監督は『植村直己物語』や『敦煌』など、大掛かりな海外ロケを含む大作を多く手掛けた佐藤純彌。日露の大物俳優が多数出演し、潤沢な予算を駆使した、125分の迫力超大作である。

 佐藤監督はそれ以前にも、1980年公開の日ソ合作映画『甦れ魔女』を手掛けている。こちらは日本とソ連の女子バレーボール選手の奮闘を描いた作品で、同年のモスクワ五輪に合わせて制作された。しかし、ソ連によるアフガニスタンへの派兵に伴い西側諸国とともに日本も五輪をボイコットしたため、本作も注目されないまま早々に上映が終了してしまい、佐藤監督にとっては苦い経験となっていた。

 『おろしや国酔夢譚』の制作が始まった頃のソ連はすでにペレストロイカを経ており、『甦れ魔女』の時よりもはるかに自由に撮影できたのは幸運だった。撮影中にソ連崩壊を迎えるも、無事に完成している。

佐藤純彌監督、1992年5月4日、映画『おろしや国酔夢譚』の記者会見に出席

日露の名優たち

 主人公の大黒屋光太夫を演じるのは、緒形拳。作中では必然的にロシア語を話す場面が多いが、緒形はロシア語の響きが非常に気に入っていたという。

 他の船乗りたちの役には西田敏行、川谷拓三、三谷昇ら、老中松平定信役に江守徹など、まさに豪華キャストという顔ぶれである。

 ロシア側も、光太夫の協力者アダム・ラックスマン役をオレグ・ヤンコフスキー、女帝役をマリナ・ヴラディと、重要な役をビッグネームが演じている。過密なスケジュールにロシア側から不満が出た時は、ヤンコフスキーが間に入って説得してくれたと、佐藤監督は回想している。

 更に脇役陣もエヴゲニー・エフスチグネーエフ、ユーリー・ソローミンといった名優たちが固め、若手ではアナスタシヤ・ネモリャエワが、日本人漂流民とロシア人の間にできた娘役で出演している。日系人を演じたネモリャエワは、本作の撮影中に知り合った日系ロシア人と後に結婚しており、奇縁というべきであろう。

過酷な撮影と迫力のシーン

 映画は、壮絶な遭難シーンから始まる。大黒屋光太夫らの舟が猛烈な嵐に見舞われ、舵を折られて悲惨な漂流に至る戦慄の場面である。アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着してロシア人と遭遇し、言葉も通じぬ全く未知の世界に放り出された漂流民たちは、時にロシア人らの助けを得つつ、艱難辛苦のなか帰郷を夢見続ける。

 撮影もまた、極寒のシベリアの中で大掛かりなものとなった。シベリアを横断するシーンでは、ヘリコプター4機を使って吹雪の場面を撮ったというから、実に過酷である。

史実との相違点も

 映画は原作通り、帰国を果たした光太夫らが幕府に警戒され、幽閉同然の生活を送ったかのように描写されている。しかしその後の研究により、光太夫らは比較的自由に行動でき、ロシアに関する知識を買われて学者らと交流を持っていたことも分かった。映画の終わり方は物寂しいが、史実にはもう少し光があったのは救いだろう。

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