「周りは自然ばかりで、滑走路のような、何もない永遠に続くかのような道を進んでいくと、『ネギ坊主』が遠くにぽつんと見える。これが、私が最初に目にしたロシア村の姿でした。滑走路みたいな道を進んでいるときは、『外国に行くような』感覚になり、それは、他の廃墟では味わえなかった」。高橋さんは、新潟県阿賀野市にあるロシア村への訪問を思い出す。
彼は、全国47都道府県を巡り、数多くの廃墟を訪れてきた。異文化を感じられて、しかも廃墟でもあるロシア村はとても魅力的に思えたので、行きたくなったという。「手のこんだ装飾が一番の魅力。解体工事が進む中、今も残るスーズダリ教会の天井と柱の装飾とフレスコ画は、ロシア文化を感じさせてくれた」
高橋さんによると、他の廃墟とのロシア村とのもう一つの違いは大きさだ。広大な敷地に、ロシア文化を実感させる建造物、オブジェが点在し、実際にロシアにいるような雰囲気が漂っている。「こんなにお金をかけて細部にも凝った廃墟はなかなかない」と高橋さん。
新潟ロシア村は、露日関係を促進するために、1993年にオープンした。新潟中央銀行頭取だった故・大森龍太郎が主導したプロジェクトで、「富士ガリバー王国」、「柏崎トルコ文化村」も含めた「ゴールデンリング構想」の1つだった。
面積は4千平方メートル。当時のロシア村には、スーズダリのロジェストヴェンスキー大聖堂(生神女誕生大聖堂)を模した教会やホテル、レストラン、劇場といった娯楽施設が充実していた。子供向けには、動物園、メリーゴーランド等の施設も備えていた。美術品にくわえ、マンモスの骨格標本の展示、アザラシ水族館などのアトラクションも話題を呼んだ。
その後、このテーマパークは一時閉園して、2002年にリニューアルオープンした。しかしリニューアルもパークを救うことはできず、わずか半年後に倒産してしまい、2009年に火災が起きた後は、建造物の撤去が進んだ。
開園の当初は、テレビや新聞で゙取り上げられ、来場者も多かったが、冬季には豪雪が来園を妨げた。
加藤さん(仮名)は、ロシア村の地元、新潟県阿賀野市の在住で、当時のテーマパークを訪れたことがある。
「地域を明るくして、子供から大人まで笑顔にしてくれたロシア村。エンターテイメントとしても異文化交流、日露文化交流としても、子供の教育の場としても、最高の場所だった。テーマパークやレストラン、歌やダンスと盛りだくさんで、とても面白かった。
外国の美術品に異文化を体感できて、刺激を受けた。当時、旧笹神村では、外国人に出会うことはめったになかった。でも、ロシア村では、ロシア人のスタッフが働き、隣町の旧水原町には子供をもつ夫婦も住んでいて、ロシア人の小学生が水原小学校に通っていた。ロシア村が無くなったのはもったいない。とにかく残念!」
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