その年、太平洋における地震活動はいつになく活発であり、1月には、日本の神戸を中心に大地震が起きた。ロシアの地震学者たちは、極東のカムチャツカでの地震を予想していたが、サハリンの地震は予想していなかった。
当時、ネフチェゴルスクには3197人が住んでいた。現地時間の5月28日1時4分、サハリン北部で地震が発生した。非常事態省の資料によれば、その地震はロシアにおける過去100年間で最大の地震となり、地震の大きさはマグニチュード7.5に達した。
震源から25~30㌔の地点に位置したその町で2100人が建物の下敷きになって死亡し、350人以上が行方不明となった。つまり、市民の3/4が死亡した。
ネフチェゴルスクは、石油採掘従事者たちの町として1964年に建設が開始された。30年間に、1棟80戸の5階建ての住宅17棟、れんがおよび大型ブロックの2階建ての住宅4棟などのほか2階建ての幼稚園4棟、学校、商店などが建てられたが、地震によりほぼすべての建物が倒壊した。前日に行われた卒業式で学校を巣立った26人の卒業生のうち、助かったのは9人のみであった。
ロシア非常事態省の救助隊員らは、救うことのできたすべての人を救い、ロシアの救助隊員の高い水準が世界に認められた。
町は壊滅状態となり、再建されなかった。同年の9月29日に廃止された。生存者は別の居住地、主にユジノ・サハリンスクに移住した。現在ネフテゴルスクの跡地には、犠牲者の名を刻んだ記念碑が立つばかりである。
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