
「春と労働の祝日」はなぜ5月1日に祝われるのか?

5月1日は、ソ連にとって重要な春の祝日であった。労働者や勤労者が、パレードやデモをし、歌を歌って、非常に盛大にこの日を祝った。そこで、労働の日はなぜ5月1日に祝われるようになったのか?
デモ

すべては、労働者の大規模なデモから始まった。それは、19世紀末に世界中とロシア帝国を席巻した。人々は、1日8時間労働(当時は12~16時間に達することもあった)の確立と労働条件の改善を要求した。

連帯の日

5月1日は、1890年に世界の労働者の団結の日となり、第1回国際メーデーが実行された。これは、アメリカの「ヘイマーケット事件」(1886年)で射殺されたデモ参加者を追悼したものだ。ロシアで休日となったのは1918年のこと。

ソビエト政府は労働者の要求を満たした。8時間労働に関する法令は、1917年の革命後に最初に出された法令の1つであり、世界最初のものの1つでもあった。

祭典のパレード

ソ連時代には、この祝日は厳かに祝われ、各生産部門の模範労働者たちが、産業、科学、文化の成果についてのポスターを掲げて行進した。

モスクワの「赤の広場」でのメインパレードは、ソ連全土に放映された。

祭典の名称は

ロシアのメーデーはさまざまな名称で呼ばれてきた。

最初は「インターナショナルの日」、1972年以降は「労働者の国際連帯の日」と呼ばれた。メーデーの公式パレードが最後に「赤の広場」で行われたのは1990年だ。

今日ロシアでは、5月1日は正式に「春と労働の祝日」と呼ばれている。