『マフィア』:世界中で遊ばれている、ロシア生まれのゲーム

Stanislav Krasilnikov/TASS
 「全員、仮面をつけて・・・プレイ開始」。頭脳心理戦ゲーム『マフィア』は、1986年にモスクワ大学心理学部の学生ドミトリー・ダヴィドフが考案した。ゲームはたちまち人気を得て、当初は大学の寮で、やがて国中で、そして世界中でプレイされるようになった。

カッターニ刑事vsドン・コルレオーネ

 ポーカーとプレフェランスの中間のようなゲームが完成した。プレイヤーは最後まで、互いに誰が誰なのか知らず、平静を装いつつ、打つ手を考えていかなければならない。ゲーム開始時のシナリオはこうだ。都市の住民たちが結束して、マフィアに宣戦布告する。マフィアは報復を開始する。言い換えれば、情報を得ている少数派が、組織化されていない多数派に対抗するのだ。

 まず、ホストがプレイヤー全員にカードを配る。それぞれのプレイヤーはこの時、自分がどの陣営に属しているか知るが、公言はしない。プレイ時間は2つに分けられる。「夜」は「マフィア」同士が無言で互いを確認し、ジェスチャーでその後の「殺し」の方針を決める。「昼」は、「誠実な市民たち」は議論を通して、誰が「マフィア」なのか暴こうとし、最も怪しいプレイヤーに投票する。投票で決まったプレイヤーは、ゲームから降りる。こうして、「マフィア」が暴かれるか、「誠実な市民たち」が蹂躙されるか、陣営のどちらかが壊滅するまでゲームが続く。

 ちょうどその頃、ロシアではイタリアのドラマシリーズ『La Piovra』が放映中だった。コラード・カッターニ刑事がシチリアのマフィアと対決するストーリーが人気を博した。こうしたマフィア映画の人気も相まって、ダヴィドフの考案したゲームはヒットした。『La Piovra』は、映画『ゴッドファーザー』との共通点も人気の秘密だっただろう。ドン・コルレオーネのセリフは、そのまま座右の銘にしたくなる魅力がある。「何を考えているか、絶対に他人には悟らせるな。自分の手札は決して他人に見せぬものだ」

『マフィア』に国境なし

 ダヴィドフの考案したゲームは、数年後には欧米で人気を得た。国外に飛び立ったかつての学生たちは、行先の国々で同僚や仲間たちにこのゲームを教えた。そして現地の『マフィア』愛好家たちが新たなプレイヤーを開拓していった。ダヴィドフによると、早くも1991年にはアメリカで『マフィア』をプレイする人々に出会ったとのことで、彼らに『マフィア』を教えたのも、ダヴィドフが全く知らない人たちであったという。

 さらに、ゲームの派生タイプも続々登場していった。例えば「スポーツタイプ」では、プレイヤーは必ず10人、マフィアはゲーム中に「殺し」のターゲットを選ぶのは1回だけ、「殺され」ても、プレイヤーのステータスは明らかにならない。

 「シティータイプ」では参加人数の制限はなく、ゲームから脱落したプレイヤーはステータスを公開しなければならない。

 その他にも、目隠しやマスクをしてプレイしたり、民族的な要素やファンタジー要素(エルフ、吸血鬼、亡霊、なんでもアリ)を加えたり、キャラクターを追加したり、バリエーションは多い。 

 このゲームはゲームサロンでも遊ばれ、Playstationにも登場し、ボードゲームやオンラインゲームにもなった。独自の『マフィア』連盟や競技会もできたほどだ。

 また、思いがけず、『マフィア』ゲームは細部への注意と戦略の組み立てを要する職業者にとって、良い訓練ツールにもなった。例えば治安機関の職員や、陪審員などである。1990年代末、カリーニングラードの警察上級学校では視覚精神分析講座の聴講生に対し、ボディランゲージを読解するスキルを向上させるべく、『マフィア』ゲームおよび同系統の『殺人者』ゲームを応用した教材を開発している。

 ダヴィドフの考案したゲームは、ビジネスマンにも有益なものとなった。彼らはこのゲームを、交渉術の練習とストレス耐性を身に着ける練習に応用したのである。

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