語り継がれる古き良き「モスクヴィッチ」

Sputnik
 2022年末、ロシアで「モスクヴィッチ」の生産が再開された。かつて国内外で、信頼性と経済性に優れたパワフルな車という評価をこのブランドにあたえたのは、どのような車種だったのだろうか?

 イギリスのレーシングドライバー、トニー・ランフランキは1972年、Castrol and Britax チャンピオンシップで「モスクヴィッチ412」を駆って勝利した。この車の価格は600スターリング・ポンド程度で、大会規定により、最後の第4グループに属した(グループ分けは自動車の性能ではなく、価格に基づいていた)。ランフランキと彼の「モスクヴィッチ」がそのカテゴリで獲得した大量の得点は、優勝候補だったBMW 2002TiiとFord Capri 3000GTを最終的な総合得点で抜き去るに充分だった。

優勝の報告

 この快挙により412型モデルは一時期、ソ連で最も人気のある車種の1つとなった上、国外でも高い評価を得ることになった。

 信頼性、馬力、経済性がほどよく融合した性能のおかげで、モスクヴィッチは1960年代にソ連自動車産業のフラッグシップの地位を得、やがて生産台数の半分以上が輸出されるようになる。

 後年、モスクヴィッチは「ジグリ」や「ヴォルガ」に押されて、ソ連の国民的大衆車の地位を譲ってしまう。2001年に生産を終了すると、モスクヴィッチは永遠に歴史の彼方へ消え去ってしまったかに思われた。1998年から2022年まで、モスクワの「モスクヴィッチ」工場ではルノーと日産の自動車が製造され、2012年から工場は完全にルノー社の所有となっていた。

 2022年5月、工場は「モスクヴィッチ」の名称が復活し、モスクワ市の所有となった。同時、モスクヴィッチ・ブランドの復活が宣言され、エンジンも内燃系だけでなく、電気自動車の生産予定も公表された。現行の新モデルは2018年製造開始の中国製前輪駆動クロスオーバーJAC JS4(Sehol E40X)で、このモデルは中国国内に加え、ブラジル、エジプト、リビアでも販売されている。

 ここからは、ソ連国内でセンセーションを巻き起こした「モスクヴィッチ」の様々なモデルを見ていこう。

1. ドイツ生まれの、ソ連初の量産モデル・「モスクヴィッチ400」

 「モスクヴィッチ」の最初のモデルは1946~1954年の間に製造された。このモデルはドイツで1937~1940年間に製造されていたオペル・カデットK38を多くの部分でコピーしていた。ソ連の研究者の説によれば、設計図と原型はドイツで、ソ連とドイツの技術者の混成チームによって復元されたという。後にバン、ピックアップ、さらにはオープンリムジンタイプなどの派生型が開発された。受領テストが行われたのはようやく1949年になってであり、すでに量産体制がフル稼働している時期だった。

 モスクワの工場は1930年に操業を開始しており、当時はアメリカのフォード車を生産していた。オリジナル部品の組み立てから始まり、1933年からライセンスコピー品の生産が始まった。これがGAZ-AとGAZ-AAである。その次のモデルはKIM-10-50で、これはフォード・プリフェクトを参考にしていた。

2. ソ連自動車の輸出成功作、「モスクヴィッチ407」

 先行モデルの「モスクヴィッチ402」がモデルチェンジを経て407となった。1958-1963年の間に35万9980台が生産され、このうち12万903台が輸出に充てられた。生産台数の約半数が輸出に充てられる時期が数年続いた。

 輸出先としては、フランス、ベルギー、フィンランド、スカンジナビア諸国、イギリスで需要があった。これら西側向けの輸出モデルはボディがツートンカラーで、外装が改良され、内装もより高価に仕上げられた。また、右ハンドルバージョンも存在した。ベルギーではScaldia社が組立を行い、自社ブランドScaldia Essenceとして販売していた。

 最高速度は時速115km。この速度性能のおかげで、フィンランドの「1000湖ラリー」に初出場して好成績をおさめた。ラリー仕様ではない、ほぼスタンダート・タイプのままでラリー・デビューした「モスクヴィッチ」勢だったが、全車が深刻なダメージも無くゴールに到達を果たした。

 後に、設計陣は70馬力エンジンのスポーツタイプである「モスクヴィッチ407クーペ」を開発した。このタイプは様々な国際レースにコンスタントに出場している。アクロポリス、モンテカルロ、ロンドン~シドニーやパリ~シドニーのレイドにも参加し、入賞を果たしている。こうした実績が、輸出需要を後押しした。

3. ソ連でもっともスタイリッシュなセダン、「モスクヴィッチ408」

 流麗なボディラインとテールフィン、突出したヘッドライト、13インチのホイール(ソ連の自動車産業では初めて)が特徴のセダン。ソ連国内でも輸出先でも高い需要を誇った。

 60,5馬力エンジンによる最高時速129kmという性能も、輸出先で人気だった理由の1つだ。1960年代末まで、毎年の生産台数の半数以上が輸出向けだった。

 スカンジナビアではMoskvich Carat 、フランスではMoskvitch Elite 1360、イギリスではMoskvich 408(専用の右ハンドルバージョン)、ドイツではMoskwitsch、フィンランドではMoskvitsh Elite (ヘッドライトは2つ) とElite de Luxe(ヘッドライトは4つ)の名で販売された。ブルガリアではRila 1400の名でソ連製部品を使って組み立て、ベルギーではScaldia-Volga社が組み立てを行い、Scaldia 408、Scaldia 1360、Scaldia 1400、Scaldia 1433(3ドアステーションワゴン)、Scaldia 1426(5ドアステーションワゴン)、Scaldia Elitaなど様々なバージョンを販売した。ベルギーで組み立てられたモデルには、ヨーロッパ製のディーゼルエンジンを搭載したバージョンもあった。

 興味深いことに、ソ連では408型の価格は5千ルーブル、つまりおよそ1900スターリング・ポンドであったが、イギリスでは650ポンド程度であった。

 408型は1964-975年の期間、モスクワとイジェフスクの2つの工場で生産された。

4. パワフルで安全、ラリーチャンピオンの「モスクヴィッチ412」

 「モスクヴィッチ408」を改良したこの新型のエンジンは75馬力、最高速度は時速145km。小型自動車としてエンジン容量1499cc以下の第2グループで、このクラスとしては記録的な出力負荷だった。1969年、「モスクヴィッチ412 IE」はソ連製自動車としては初めてシートベルトが装着された。また二重回路ブレーキシステムが採用され、その部分を保護するためにバンパーにはオーバーライダーが追加された。

 また「モスクヴィッチ412IE」は、ソ連の自動車で初めてパッシブセーフティが本格的に考慮された設計だったとされている。このモデルは1969年からフラッグシップとなり、堅牢で走破性に優れた自動車として評価を確立していった。もちろん、ラリー用のスポーツタイプも存在する。

 1967-1976年までモスクワで製造され、1967-1997年までイジェフスクで「IZh-2125」という自主ブランドとして製造された。当時を知る人々によれば、イジェフスク版「モスクヴィッチ」は本家よりも堅牢な組み立てだったが、内装の仕上げは雑だったという。

 この2つの都市で製造された自動車は国外にも輸出され、またフィンランドとブルガリアでも組み立てられた。ブルガリア市場ではRilaの名で販売されていた。ベルギーでもScaldia-Volga社でセミノックダウン生産され、Moskvich Scaldia 1500の名称で販売された。ベルギー製「モスクヴィッチ}はソ連製と内装が異なり、オプションとしてディーゼルエンジンを搭載可能だった。

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