スターリンの生年月日が 2つあるのはなぜか?

歴史
ゲオルギー・マナエフ
 この問題に関する正確な答えはいまだにない。しかし、主な説をご紹介しよう。そのなかには、オカルト的な「説」もある。

 ソ連の独裁者ヨシフ・スターリン(?~1953)は、20 世紀の国家元首の中で、正確な生年月日がいまだに特定されていない唯一の人物だ。スターリンの公式の誕生日――1879 年 12 月 21 日――は、すべてのソ連国民が知っていたにもかかわらず。

 12 月 21 日が「正式の」誕生日となったのは、1929 年以来だ。このとき、ソ連は国を挙げて、ヨシフ・スターリンの誕生日を盛大に祝った。1939 年に60歳になったときは、正式に祝われたわけではなかったが、新聞各紙は祝賀で満ち溢れた。70歳を迎えた戦後の1949年には、祝賀は頂点に達し、豪華な贈り物、外国の代表団の訪ソが相次ぎ、ボリショイ劇場では荘厳な祝賀会が催された。

意識的な韜晦 

 ソ連末期の1990 年に、雑誌『ソビエト共産党中央委員会報知』は、次の情報を公開した。グルジア(ジョージア)のゴリ市のウスペンスキー大聖堂教会の戸籍簿には、1878 年 12 月 6日(ユリウス暦)に、ヴィッサリオン・イワノヴィチ・ジュガシヴィリとその妻エカチェリーナ・ガヴリーロヴナの間に息子ヨシフが生まれた、という記載がある。新暦(グレゴリオ暦)では、12 月 6 日は 12 月 18 日だ。「正式な」誕生日は、1879年12月21日なので、1年と3日の開きがある!

 同じ生年月日(1878 年 12 月 6 日)は、ヨシフ・ジュガシヴィリ(スターリンの本名)のゴリ神学校修了証明書にも記されている。

 彼が革命運動に従事していた1911年、サンクトペテルブルク県憲兵部の「スターリンへの疑義」に関する報告にも同様の日付がある。さらに、ロシア革命後の1920 年には、スターリン自身が、ストックホルム発行の新聞「Folkets Dagblad Politiken」(日刊人民政治新聞)のアンケートで、生年月日を1878年としている。

 ところが、雑誌『ソビエト共産党中央委員会報知』の上に挙げた記事には、1922年にスターリンが自身の経歴を自らまとめ、それを秘書イワン・トヴストゥハが党の歴史家に送った、と書かれている。そして、トヴストゥハの報告書には次のメモが添えられていた。「ここに添付されているスターリン同志の経歴は、すべて同志自身によって確認、修正された」

 さて、その経歴の生年月日が1879年なのだ。さらに、すべての党大会を代表してスターリンの名によって記入された多数の書式では、1921年以来、彼の秘書たちは、生年を1879年としている。

タイプミス、記憶違い、オカルト?

 まず考えられる説は、若い頃のスターリンが、徴兵されないように、年齢を1年「サバを読んだ」というものだ。しかし、スターリンは一人っ子で、父親が早世した後は、母親を養う立場になった。その場合、いわゆる「第1カテゴリーの優遇措置」が適用されて、兵役を免除された。 

 なるほど、スターリンが生年月日をしばしば変えたことは、非合法の立場にある革命家にとってはありふれたことだった。1910年にスターリンが、ロシア社会民主労働党の党員としてバクーで逮捕され、5年間のシベリア流刑となったとき、一件書類における彼の生年は1880年だ。

 だが、すでに述べたように、スターリンが意図的に(?)生年月日を変更し始めたのは、1920 年代になってからだ。当時、彼はソ連の指導者の一人であり、彼を迫害する者など誰もいなかった。

 タイピストの打ち間違いや誤植だろうか?しかし、それでは、1920年にスターリン自身がスウェーデンの新聞に1878年を生年として示し、わずか2年後の1922年には書類に1879年と書いた理由が説明できない。

 スターリンの孫、アレクサンドル・ブルドンスキー(ワシリー・スターリンの長男)は、2007 年に、ウクライナの週刊新聞「ゴルドンの並木道」へのインタビューで次のように語った。

 ブルドンスキーは、スターリンが地理学者・探検家ニコライ・プルジェヴァリスキーの息子だという風説を斥けつつ、「(*日付の食い違いは)そんな理由によるのではない。違う理由だ。スターリンは、神秘思想家ゲオルギー・グルジエフの教説が気に入っていた。その教えによると、人は自分の本当の出自を隠すべきで、生年月日さえ曖昧にすべきだという。こういうカモフラージュは、プルジェヴァリスキー落胤説でさらに神秘色を強めた」

 スターリンとグルジエフが直接接触した確かな証拠は残っていない――二人がいずれも、ティフリス(トビリシ)神学校で学んだ事実は別として。ただし、在学の時期は重なっていない。

 ちなみに、グルジエフの正確な生年月日も不明であり、3 つ以上の説がある。

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