もしあなたが1940年代、1950年代のソ連に住んでいたとしたら、あなたは毎日のように、今度はロシア人が何を発明したかというニュースを耳にしたことだろう。そしてあなたは、キッチンで紅茶キノコを飲みながら、突然、ロシアは象の祖国だというニュースを耳にしたりもするのである。
ある説によれば、このフレーズが政治をテーマにしたソ連のアネクドートの中に初めて登場したのは1940年代のことだという。それはソ連において「コスモポリタニズム一掃」キャンペーンが行われた時代であった。西側に傾倒する者を暴き、公共機関からそうした者たちを追放し、自らの達成を強調する必要があるという思想であった。一方、共産主義者たちは、「ソ連の科学技術的優位性」に関する大々的なプロパガンダキャンペーンを行ったが、その中身が歴史的に事実に基づいたものでないということは多々あった。
たとえば、ソ連では、ウラルの農民アルタモノフが19世紀に入ってすぐに自転車を発明したとか、熱気球を発明したのは、フランスのモンゴルフィエ兄弟ではなく、ロシアの役人クリャクートヌィだなどとまことしやかに言われていたのである。
こうしたキャンペーンの中では、 外国のルーツを連想させるすべてのものの名前が改称された。フランスのバゲットは「ゴロツコイ(町の)」に、ウィーンの丸パンはただの「菓子パン」に、ハンドボールは「手球」に、フランスレスリングは「クラシックレスリング」に、そしてスイスレスリングは「ベルトレスリング」といった具合であった。
「ロシアは象の祖国」という表現は、あらゆる発見や発明をロシアのものにしようとすることに対するアイロニーのようなものである。
一方、象の祖国に関するフレーズは、別のものから、ソ連のアネクドートや日常生活に入り込んだという説もある。ソ連の数学者ウラジーミル・アルノルドは、そのフレーズはスペイン人が作り出したものであり、「ロシアは象の祖国」という言葉は18世紀にスペインの旅行家がサンクトペテルブルクのクンストカメラで見たマンモスの遺骸を表現したものだと述べている。
現代のロシア語ではこの表現はより幅広い意味を持つ。ソ連やロシアに限らず、根拠のない優位性を主張する国や団体、組織に対して用いられている。
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