ソ連時代、なぜ丸い家が建てられたのか?(写真特集)

Mikhail Kolobayev/Mos.ru (CC BY 4.0)
 ソ連の建築家はさまざまな形の住宅の設計を実験的に行なった。最初は、市の空間を節約する方法を模索するというのがその動機であったが、その後は国家の偉大さを見せることに夢中になった。

 ロシアで丸い家を建設するという実験が行われるようになったのは、革命よりも前のことである。1820年代、サンクトペテルブルクで初めて「輪の家」が建てられた。この住宅の部屋は賃貸に出された。

 モスクワでは、建築家メリニコフが1920年代末に建てたアヴァンギャルドな私邸、「円筒形の家」が広く知られている。

 丸い形は構成主義の建築家らの間で人気の手法となり、サナトリウムからオペラ劇場まで、さまざまな建物で積極的に取り入れられた。1920年代末、タガンログに、レンチの先端部分に似た形をした金属労働者クラブが建設された。

 1932年、タガンログに「C」の形をした3階建ての建物が完成した。これはソ連初の丸い住宅と考えられており、最初にここに住んだのは、「クラースヌィ・コテリシク」工場の労働者たちであった。

 この建物が実際には誰の設計なのかについては、今もわからないままである。ソ連時代には、ロストフ・ナ・ドヌーにジグザグ形の住宅複合施設「ノーヴィ・ブィト」を作ったミハイル・コンドラチエフの設計だとされていたが、のちに、郷土研究家らが、モスクワの地下鉄駅を複数、設計したイワン・タラノフ=ベロゼロフの設計であるとの説を唱えた。

 「クラースヌィ・コテリシク」工場の労働者の住宅(今も公式にはこの名称で呼ばれている)には36室ある。当初は、いくつかの家庭が使う共同の浴室があったが、現在はそれぞれの部屋に浴室がある。興味深いことに、この「権威ある」住宅の中には、トイレは別に作られており、また上下水道が整備されたのは30年後の1960年代に入ってからのことだったとのこと。

 住宅の内部には快適な中庭があり、すべての部屋のドアから庭に出られるようになっている。2階と3階には、家を囲むように、共同のバルコニーがついている。10年前に、住宅では大々的な修復作業が行われた。

 丸い形は団結や共同体のシンボルであり、ソ連の人間にとっての理想的な住宅であった。誰の目にもすべてが見え、バルコニーも庭もみんなのものであった。しかも、この住宅は、もっともシンプルな建材を使って、頑丈に作られた(建設されて90年が経った今も、素晴らしい状態を保っている)。

 もちろん、このような変わった建物の登場にちなんだ、いくつもの伝説がある。たとえば、Cの形をした建物は、シリーズの建物の最初の1つで、計画では、さらに「C」「C」「P」(CCCPはUSSRソ連の意味)の3つの建物が作られることになっていたというもの。あるいは、家の基礎には、ボリシェヴィキが破壊した聖アルハンゲル・ミハイル教会の石で作られているというものもあった。

 1930年代初頭、イワノヴォ市に、構成主義様式の住宅「蹄鉄の家」が作られた。国家安全保障機関の職員のために建てられたもので、これも実験的な建築物であった。半円形にすることで、住宅のための場所をよりコンパクトにし、空間を節約することができ、制限された敷地により多くの人々を住まわせることができると考えられた。

 しかし、これを機に、同様の半円形の住宅の建設が大々的に進められることはなかった。結局、1950〜1960年代になり、厳しい住宅問題が起きたときには、平行六面体のいわゆる「フルシチョフカ」というより簡素な建物の建設で解決されることとなった。

 ちなみに、丸い形を使った実験はその後も継続された。モスクワで1980年のオリンピック開催が決定された後、政府は訪れた人々をそのインフラで驚かせようとし、再び、丸い住宅を建設すると決定した。より正確には、上から見ると、オリンピックの五輪になるような5つの建物を建てることにしたのである。建築家のエヴゲニー・スタモと技師のアレクサンドル・マルケロフが建設した2つの建物は、1970年代にネジンスカヤ通りとドヴジェンコ通りに作られた。非常に大きな建物で、中には900室以上あった。

 しかし、このような標準的でない建物を建設するのは高価で複雑であることがわかり、2つの建物が完成した後、この計画は頓挫した。

 また後になって分かったことには、こうした家での生活には多くの不便があった。アーチをくぐらなければならない中庭へのアクセスは悪く、駐車場も不足していた。中庭に向いた窓しかない部屋は暗く、そのため、電気代が嵩んだ。しかも、光が不足していることから、じめじめとし、カビが生えた。さらに、部屋に角がないことから、壁紙を貼ったり、床板を敷くのが難しく、またソ連の標準的な家具は、このオリジナリティあふれる部屋には入らなかった。また中庭は巨大なコンクリートの井戸のようで、静かに会話をしていても、かなり響いた。

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