ソ連最後の指導者ミハイル・ゴルバチョフの珍しい写真

 世界の写真家が写した冷戦終結とソ連崩壊の主役の姿を見てみよう。

 ミハイル・ゴルバチョフ(1931年3月2日〜2022年8月30日)は、最初で最後のソ連大統領であり、ソ連の全国民の人生に例外なく影響を与えた人物だ。彼は米ソ冷戦を集結させた政治家として歴史を作り、ソ連と西側諸国との間の和平の促進に貢献した人物としてノーベル平和賞を受賞した。1980年代半ば、彼はソ連の経済と政治を民主化する方針(「ペレストロイカ」と「グラスノスチ」として知られることになる)を発表したが、これによって主権を求める連邦構成国の声が強まり、ソ連はついに崩壊することになる。

 世界の卓越した政治家が彼のことをどう記憶しているかについてはすでに我々の記事がある。ここでは、彼の普段の姿を収めた珍しいスナップ写真をお見せしよう。

4歳のミハイルと祖父のパンテレイ・ゴプカロ(左)と祖母のヴァシリサ・ゴプカロ。スタヴロポリ地方(ロシア南部)プリヴォリノエ村、1930年代
彼は校長と教員の推薦で19歳の時に共産党員候補となった。
モスクワ国立大学在学中に、未来の妻となる哲学科の学生ライサ・チタレンコ(1932年〜1999年)と出会った。彼らは1953年に結婚し、結婚式は学生寮の食堂で行われた。
ミハイルとライサと彼の母のマリア、プリヴォリノエ村にて
モスクワ市民の家を訪れるミハイル・ゴルバチョフとソ連の政治家ヴィクトル・グリシン、1985年
ミハイル・ゴルバチョフと米国大統領ロナルド・レーガン、1986年

ミハイル・ゴルバチョフ大統領と妻のライサの日本公式訪問、1991年4月
ミハイル・ゴルバチョフとライサ・ゴルバチョワとその家族。モスクワ郊外のダーチャにて、1989年
ゴルバチョフと後の初代ロシア大統領ボリス・エリツィン、1988年
ソビエト連邦共産党中央委員会書記長ミハイル・ゴルバチョフは議会の休憩中、1990年
カザフスタン訪問中に畑を歩くゴルバチョフ、1991年
リスに餌をやるソ連指導者。モスクワ郊外のダーチャにて、1989年
公式訪問先のニューデリーで飛行機から降りるミハイル・ゴルバチョフと妻のライサ
マドリードの2つの大学から名誉学位を得た式典で中世の帽子を取るミハイル・ゴルバチョフ、1990年。ソ連指導者は職員に対し、帽子は鏡で見栄えを確認するまで脱いでおきたいと話したという。
ランサローテ島での休暇
休暇でスペインのパルマ・デ・マヨルカを訪れたミハイル・ゴルバチョフ、2000年

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