「おばあちゃん」という言葉を聞くと、陰鬱なロシア人でも心が和む。おばあちゃんとは愛情や優しさを象徴するものであり、いくつになってもいつでもあたたかく包み込んでくれる存在だ。しかし、実は、それだけでなく、ロシアのおばあちゃんは・・・とても恐ろしいのである。このロシアならではの現象とも言えるものを紹介することにしよう。
ロシア語の「バーブシカ」は文字通り、おばあちゃんを意味する。「バーブシカ」の語源は「バーバ」という歴史的に農婦を意味する言葉(今は女性に対する大変ぶしつけな呼び方)である。おばあちゃんを意味する正式なロシア語は「バーブカ」であるが、今ではこれも良い言葉とは考えられておらず、指小語の「バーブシカ」がより一般的な呼び方になっている。
ロシア語にはこの優しげな言葉「バーブシカ」をさらに可愛く呼ぶ言い方がある。「バブーリャ」、「バブーシャ」、「バブーセンカ」などだ。「バーブシカ」とは、広義で高齢の女性を指す「スタルーシカ」の同義語である。もし街角で高齢女性を見かけたら、あなたも「バーブシカ」と声をかけてみてほしい。
ロシアの偉大な詩人、アレクサンドル・プーシキンは有名な詩「冬の夜」で年老いた乳母のことを「スタルーシカ」と呼んでいる、「どこにいるの?わたしのスタルーシカ」と。英語で、これは「dearest little Mother(最愛なる母)」や「sweetheart(愛しい人)」などと訳されている。
時折、高齢のロシア女性が頭につけているかぶりものを間違って「バーブシカ」と呼ぶ人がいるが、そういう意味の「バーブシカ」は単なる言い習わしで正しくは「おばあちゃんの被り物」もしくは、「おばあちゃん風被り物」である。
ところで、イギリスのエリザベス女王もこの「おばあちゃん風」のスカーフをよく身に付けている。しかし女王の場合は、リボンがある素敵な結び目を付け加えている。
この「おばあちゃん」スカーフは、「ボージィ・オドゥヴァンチク(神様のタンポポ)」と呼ばれることがある。これは、おばあちゃんが虫も殺さないほど優しく見えるからだ。
ロシアでは親がどんなに子どもを愛してもおばあちゃんの孫に対する愛情に及ばない。まるで、彼女の人生のすべては孫の世話をすると言う高貴な運命もしくは、人生を捧げる転職であるかのようだ(もちろん甘やかしすぎるということもあるが)。
ロシアのおばあちゃんは子どもを抱きしめたり、キスをして怖がらせる。そして(特に両親が決して買い与えない)甘いものとおもちゃを何でも買い与える。子どもが望むだけ散歩させるし、両親がいるところでどんないたずらをしてもそれを庇おうとする。
「わたしが子どもの頃、夏休みになると両親は仕事があるのでずっと田舎のおばあちゃんの家で過ごしたものです」。35歳のアレクサンドルはこう回想する。「今から思えば、年寄にとって3か月もの長い間やっかいな小さな子どもの世話をしなくてはならないなんて想像を絶するものです。しかし、おばあちゃんは不満を口にすることもなく、わたしが何をしても、どんなにどろんこになって帰って来ても、体を洗ってくれ、おいしいパンケーキを焼いてくれました」。その後成長して自分の家族をもつようになっても、アレクサンドルは未だにおばあちゃんのところに行ってパンケーキを食べるのが好きなのだそうだ。
おばあちゃんの子どもへの愛情の深さは料理にも表れている。おばあちゃんは、いつも子どもに何を食べたいか聞く。たとえ1日中、台所で料理していても、子どもはその料理を食べずに、別のものを食べたがるのである。そして、おばあちゃんは、ボルシチを作らせても、パンケーキを焼かせても、複雑なパイを焼かせても、そのすべてを最高に作れるのである。しかも、ソ連の困難な時代に育ったため、残り物からや冷蔵庫に入っているもので完ぺきなディナーを作り上げることが出来る。
そしておばあちゃんは子どもがちゃんと食べているか注意して見ている。
「正月にモスクワの友達を訪れたときのことです。われわれは彼のおばあちゃんのアパートに招かれて食事をしました。誓っていいますが、そこが森の中の小さな小屋だったら、誰かが我々を太らせて丸焼きにしようとしていたに違いありません」。アメリカ人作家ベンジャミン・デーヴィスが自身の体験をこう語る。「ロシアサラダ、パン、バターをのせたパン、キャビアをのせたパン、肉をのせたパン、肉をのせた肉、チーズと肉をのせたパン。皿の上の料理は、魔法のように決してなくならないのです」。
そしておばあちゃんの家から退散するとなると、おばあちゃんは必ず食べ物をお土産に持たせる。それは、ピクルスやジャムの入った大きな瓶などである。
しかし、今のおばあちゃんたちは少し違う。被り物はしないし、仕事をしていることも普通だ。そしてアクティブで、孫たちと友人のように、秘密を共有したり、信頼関係を結ぶ。食べ物による攻撃は今ではお小遣いをあげることに変わってしまっているが。
これまであらゆる素晴らしい言葉をおばあちゃんに捧げてきた。しかし、ここで驚かせるが、おばあちゃんはまったく別の顔を持つこともある。おばあちゃんの中には、実際に、「くそばばあ!」と呼ばれる人もいる。
ベンジャミン・デーヴィスは通りで偶然出会った高齢女性とまったく別の経験をした。彼に言わせれば、とても狂暴な人だったという。「彼女はわたしをボコボコにせんばかりに罵倒したのです」、「こんなご婦人は道を横断していても助けてあげようとは思わない」。
こんなおばあちゃんは、(他の誰が列に並んでいても肘や買い物カートで押しのけ)自分が列の一番前につく。こんなおばあちゃんは自分の家かアパートの近くに腰掛け、出入りする人を観察して、人が現れるたびに毒づく。若くおしゃれをした女性は、こんなおばあちゃんにかかると、簡単に「売春婦」にされてしまう。また、若い男の子たちが外出したり、パーティーをしたりすると、たちまち「麻薬中毒」にされてしまう。おばあちゃんが若い子たちを決めつけるのにこの2つが一番多い。そしてこのことに関してネット上でのミームも数多くある、
「おばあちゃんたちはわが母国をさんざんにする。彼女らはボランティアでアパートの入り口の監視員の役割をする。おばあちゃんたちの基準に逆らわない方がいい。目を付けられるから。」Quoraのあるユーザーはこう言っている。まったくその通りであり、付け加えることもない。
シルベスター・スタローン主演のコメディー、「刑事ジョー ママにお手あげ」(1989年)を覚えているだろうか。そこで描かれている母親はまさにロシアの恐ろしい方のおばあちゃんである。
ロシアのおばあちゃんの多くはおとなしくしていることはない。オートバイに乗ったり、旅行したり、ブログを書いたり、などなど。
みんな、おばあちゃんのことはよく語るが、彼女たちの夫であるおじいちゃん、「ジェードゥシカ」はどうしているのか。悲惨な20世紀の歴史を通じて、多くの男性はいくつかの戦争で死ぬか、粛清された。ソ連時代のおばあちゃんは孫を一人で世話しなくてはならないこともあった。そして、忙しく働く両親が休日だけでなく、平日も子供を祖父母に預けて育ててもらうのはよくあることだったのである。
さらに、2021年のロシア男性の平均寿命は65歳とされており、一方女性は74歳に近い(この数字は1990年代以降あまり変わっていない)。そのため、おばあちゃんが晩年の何年間かひとりで生きることはごく普通のことで、おばあちゃんの興味は当然のことながら孫のことになってしまうのである。そして自分の子どもに、「孫の顔を見ずに死ねというのか?いつになったら孫を抱けるのか?」と厳しい口調で言うようになる。彼女らはドラマの登場人物のようになりたいのである。
しかしながら、ジェードゥシカもアネクドート(小噺)のヒーローである。おじいちゃんは、「そのうるさい子どもたち」と(孫に対する妻たちの過剰な面倒)に迷惑するのである。ロシア人のほとんどは、ジェードゥシカと言えば、タバコを吸って(あるいは酒を飲んで)、黙って、釣りに行くか、キノコ狩りをし、平静を保とうとしているというイメージを持っている。しかしこれはまた別のお話である。
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