もっともよく知られ、見応えのあるのがバウマン記念モスクワ国立工科大学の伝統である。ヘルメットをかぶった未来のエンジニアたちがビールをかけられ、講義ノートとともに金属製の洗濯桶に入りこみ、学生寮の階段を滑り降りた後、桶をロープでクルマにつないで引っ張ってもらい、その辺りの狭い道路をうまく通り抜ける。それがどんなに騒々しいか分かるだろうか。2016年には、警察がこのような馬鹿げた「エンターテインメント」を禁止にした。近隣からの苦情に耐えきれなくなったからなのだが、それでも卒業生たちはこれでやめたりはしなかった。少なくとも階段滑りは。かつては卒業式は冬に行われ、当時は桶は雪上を走ったので騒音もそれほどでもなかったのだ。
エカテリンブルクにあるウラル連邦大学工学部の卒業生たちにも、似たような馬鹿馬鹿しい伝統があるそうだ。
「こんな伝統もある。学生寮の近くで医学生たちが大きな焚火をつくり、ラテン語、神経学などやっかいな科目の講義ノートを焼くのです」。エカテリンブルクのウラル国立医科大学を卒業したアレクサンドル・ヴィリャエフは言う。講義ノートを焼くという同じような伝統は、トムスク工科大学にもある。
一方で、講義ノートの「雨」を降らす卒業生たちもいる。トムスクのシベリア国立医科大学では、1年生の学生たちが卒業生の講義ノートを細かく切って窓から降らすのだそうだ。この儀式は世代交代を象徴している。
医学生は白衣を着て講義に出席する。そして学業を終えた時、その「制服」を破棄するという象徴的な伝統がある。たとえば、ヴォルゴグラード国立医科大学の卒業生は白衣にサインをしてそれを切り刻むのである。そしてその一切れを記念として持っておくのだとか。
カザン近くにあるイノポリス大学では、学生寮が研究棟とつながっているので学生たちは文字通りスリッパをはいて講義に行くことが出来、実際にそうしているものがいる。そして数年前、祝宴の席にスリッパをはいて出た学生たちがいた。他のゲストたちが礼装を着ていたのにもかかわらず、である。その後、大学当局は、卒業を祝うために毎年「スリッパ・オブ・ザ・イヤー」パーティーを開くことを決めた。そして学生は「最も素晴らしい学問以外の業績達成者」として表彰され学長の脚を模った記念品が贈られる。
モスクワにあるイワン・セチェノフの像
Sergey Pyatakov/Sputnikニコライ・ピロゴフとイワン・セチェノフは共に医学の発展に多大な貢献をしたロシア人医学者である。
モスクワには、この医学者の銅像が並んで建てられており、医学部の卒業生は彼らに「救急措置」的に医療用帽子をかぶせ包帯で体をぐるぐる巻きにする。時には包帯の代わりにトイレットペーパーで巻かれるなんてこともあるのだそうだ。
サンクトペテルブルクのフルンゼ海軍兵学校の卒業生はネヴァ河岸に建つロシア最初の海洋探検家であるイヴァン・クルゼンシテルンの銅像に青と白のストライプのシャツ(テルニャーシカ)を着せる。
そして、このテルニャーシカは、旧海軍省近くのアレクサンドロフスキー公園にファルネーゼのヘラクレスや、プーシキンという町にたっているチェスメンスカヤ柱の頂点に置かれている鷲にも着せられる。
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