ソ連の職場で行われていたグループ体操とは?(写真+動画特集)

織物工場の職場体操

織物工場の職場体操

MAMM/MDF/russiainphoto.ru
 工場、会社などで休憩時間に行われた体操は、ソ連時代の人々の生活の中の注目に値する光景のひとつである。この職場体操が始まったきっかけは何で、体操自体はどれほど簡単なものだったのだろうか?

 「スコロホド工場の労働者は、毎朝10時になると体操を始める。数時間の労働のあとには、短い休憩を取ったほうが良いからだ。ソ連の多くの企業でこのような職場体操が導入された理由はこれである。体操をすれば、疲れが吹っ飛び、新鮮な気分で仕事を再開出来るのである」。

 休憩時間中の体操はこの靴工場だけで行われていたわけではなく、ソ連中のあらゆる工場や会社で始められた。この体操休憩は「職場体操」とか「1分間の運動教育」と呼ばれていた。 

 ソ連時代、生活に運動を取り入れることは、とても大切なことだと考えられていた。もちろん、それは、すべての市民がアスリートになるということではなく、実際にアマチュア大会からスポーツ・ツーリズムまで数多くの人気アクティビティが実践されていたということである。さらに、職場の休憩時間に体操を行うことを促進していた人々がいた。

 職場体操が国家レベルで工場や会社で始められたのは1956年のことであるが、それ以前にも断続的に体操は行われていた。しかし、ソ連政府が法令で定めて以降、全国に広まったのである。 

 休憩中の体操は、1日に2回、それぞれ10分間行われることになっていた。昼食の12時間前と、終業の1時間前である。その当時、体操中は多くの工場で生産ラインは止められ、すべての労働者が体操に参加した。

織物工場の職場体操

 1961年から1991年の間には、全ソ連ラジオ(Radio-1)が平日に10分間の特別番組を流した。11時になると、この番組がソ連中の人々に何かの運動をするように呼び掛けた。

リヴィウの工場「エレクトロン」

 1970年代前半には、体操のインストラクターが大きな工場や会社には置かれるようになり、体操休憩(他のスポーツイベントも)を仕切る役割を任された。1980年代には、この活動は集団農場(コルホーズ)や学校にまで拡大された。

 この体操はきわめて簡単で、 ウォーキング、ストレッチ、屈伸、スクワットを組み合わせたものであった。そのため高齢者もこの体操をすることが出来た。このような短い体操をすることで、労働の生産性や規律が向上し、従業員の健康を維持するのに役立っている。

時計工場の職場体操

 しかしながら体操をすることは個人の自由であった。仕事の流れを止めることを嫌がる人も中にはいたし、単に面倒くさがる人もいた。

時計工場「ルーチ」

 「ソ連時代、宝飾工場で働いていた。そこでは、就業中に2度、例外なくすべての人が簡単な『工場体操』をしたものだ」 ―あるインターネットユーザーはこう思い返す。「その時はまだ若かったので、最初は馬鹿らしいと思っていた。しかし、座ったままの仕事を23ヶ月も経験すると、仕事中に体を動かしたくなるのも分かり、この体操に喜んで参加するようになった。今では、これは素晴らしいアイデアだったと思う。」 

チェーホフ市の印刷工場
モスクワの職場体操コンテスト

 ペレストロイカの時代になると体操は形式的なものになり、ソ連崩壊とともに停止された。しかしながら、ロシアの企業の中にはこの伝統を復活させようとしているものもあるのだそうだ。

もっと読む:

このウェブサイトはクッキーを使用している。詳細は こちらを クリックしてください。

クッキーを受け入れる