新体操がロシアで考案されたことをご存じですか?

歴史
ロシア・ビヨンド
最もエレガントなスポーツの1つは、サンクトペテルブルクが発祥の地だ。1914年、ネヴァ河畔のこの都市で、ピョートル・レスガフトの高等教育課程(後のレスガフト記念体育大学)に、芸術的な運動の学校が開設された。その専門科目は、アクロバットと振り付けを組み合わせたものであり、これを新体操(*ロシア語では「芸術的体操」)と命名した。

 新しい学校の教師たちは、隣接する分野における自分たちの経験を統合した。すなわち、美学、ダンス、リズム体操のほか、有名なダンサー、イサドラ・ダンカンのモダンダンスなどだ。

 ちなみに、将来のアスリートたちは、マリインスキー劇場のアーティストらも教えている。クラシックバレエ、歴史的な舞踏、民族舞踊その他、ユニークな特徴をもつダンスを生徒たちに紹介した。

 大祖国戦争(独ソ戦)が始まる数か月前の1941年4月、レニングラード(現サンクトペテルブルク)で新体操の市選手権が開かれた。そして1948年には、最初の全連邦選手権が開催。1950年代半ばには、ソ連の選手たちが外国でデモンストレーション・パフォーマンスを披露し始める。間もなく、国際体操連盟がこの新しいスポーツを認めるにいたる。

 ついに1963年に、ブダペストで第1回世界新体操選手権が開催された。優勝したのは、ソ連のリュドミラ・サヴィンコワ選手で、同種目初の世界チャンピオンとなった。

 1984年ロサンゼルスオリンピックから、個人総合がオリンピック正式種目に採用され、1996年アトランタオリンピックから、団体も正式種目になっている。 

あわせて読みたい:ロシアのスポーツ界を代表する美女10人(写真特集)>>>

最も興味深いコンテンツを見逃さないでおきたい方は、さまざまなプラットフォームでロシア・ビヨンドの情報を入手していただけます: