東シベリアと極東をつなぐ鉄道の建設は、すでに19 世紀に着想されていた。しかし、参謀本部の専門家たちは、ウスチ=クート市(イルクーツク州)からムヤ川(ブリヤート共和国)までの広大な領域を調査した結果、これは技術的にも財政的にもまったく不可能だとの結論に達した。その後、1920年代に再びこの問題が取り上げられた。そして1938年に、バイカル・アムール鉄道(第2シベリア鉄道とも呼ばれる)の建設が始まる。この大幹線は「バム鉄道」の略称でも呼ばれ、1974年に建設が本格的に再開されてから、今年で50年になる。
1. 後に大幹線が敷設される地域を最初に調査した人々は、次のように書いている。この土地は「開発には不適当であり、潜在的な定住地として考えることはできない」
2. 1932年に大幹線の建設が決定された。建設用地とそこにアクセスする区域に関して、最初に建設に従事したのは、強制収容所「バムラグ」の囚人たちだった。
1938年には、これは6つの鉄道建設用の強制収容所に分割された。合計15万人以上の囚人がバム鉄道の建設に携わった。
3. 1930年代後半、建設用地および周辺の調査には、航空写真が用いられた。通行不能な鬱蒼たるタイガのせいで、地上からの調査は不可能だった。
4. バム鉄道の最初の区画での定期運行は、1958年に始まった。そして2003年には、ロシア最長のトンネル「セヴェロムイスキー」がバム鉄道に開通。その長さは15.3キロメートルだ。
5. 1974年、バム鉄道は、ソ連の「コムソモール」(共産党の青年団)の総力を挙げての一大建設と宣言され、「バム突撃隊」が編成された。こうして全国から若者がソ連の巨大プロジェクトに参加すべく現地に赴いた。
6. バム鉄道は世界最大の幹線の1つとみなされている。その長さは4300キロメートル超であり、路線のかなりの部分が永久凍土帯を通る。
7. これはソ連の最も高額なプロジェクトであり、1990年代初頭における費用総額ほぼ180億ルーブルに達した。
8. バム鉄道の路線は11の川をまたぐ。そのなかにはアンガラ、レナ、ヴィティム、ゼヤ、セレムジャ、ブレヤ、オレクマが含まれる。また、7つの山脈を通る。すなわち、バイカル、コダル、タラン、ドゥッセ=アリニ、ムイスキー、ウドカン、シホテ=アリニ。
9. バム鉄道はロシアの6つの地域を通り、ルートに沿って4千以上の橋と約300の駅が建設された。
10. バム鉄道は、ムルリンスキー峠を通過し、その際に海抜1323㍍に達する。