1994年のロシア :自由と混沌の中から生まれた希望(写真特集)

 この国はソ連時代に別れを告げ、既に数年間、民主主義の新たな現実の中で生きている。この年もロシアは多事だった。その有様を見てみよう。

ソ連は1991年12月についに崩壊し、ボリス・エリツィンがロシア連邦の初代大統領に就任した。彼は1990年代末まで統治した。

この年の最も重要な出来事の1つは、イギリス女王エリザベス2世のロシア訪問だった。

英国君主は、何世紀にもわたる二国間関係の歴史の中で初めてロシアを訪問した。エリザベス女王は、夫君のフィリップ殿下(ロマノフ家と血縁関係にある)とともに、モスクワとサンクトペテルブルクを訪れた。 

ビル・クリントン米大統領もモスクワを訪問した。機密解除された文書によると、クリントンはエリツィンに対し、ロ米両国の積極的な協力関係を促進するよう呼びかけた。

作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンは、ソ連時代に祖国を追放されていたが、亡命先からロシアに戻った。彼は、ロシア連邦下院で演説し、国の発展について自身のビジョンを語った。

まだソ連時代の1980年代後半から、ロシア正教会の再建のプロセスが始まっていたが、連邦崩壊後の1990年代にこの動きが本格化する。多くの教会が再開され、活動を狭められていた司祭たちは公の礼拝に戻った。写真は、ヴォルガ川の源流(トヴェリ州)の成聖(聖別)の儀式だ。

1990年代は、経済的に非常に困難な時代だった。計画経済のシステムを放棄したこの国は、新たな市場経済のもとで生きようとしていた。多くの国民は、新たな現実への備えがなく、貯蓄をすべて失った。どうにかして金を稼ごうとした結果、詐欺の被害者になった人もいた。なかでも社会を騒がせたのが、セルゲイ・マヴロディのねずみ講「MMM」だ。写真は、同社の建物に詰めかけた、騙された株主たち。

1990年代は、パーティーが盛んに行われ、クラブ、レイブなどのカルチャーが現れた時代でもあった。

自由と新たなステージの時代。写真は、当時、衝撃的だったレジェンド、ワレリー・レオンチェフによるパフォーマンスだ。

1990 年代を象徴する写真。ストリップを、ネクタイを締めた紳士たちが観ている。写真は、モスクワのナイトクラブ「Dolls」のオープン。

モスクワで初めてオートクチュールのファッション・ウィークが開催された…。

…そして、最初の国際的なミスコンも。

新しいテクノロジー。石油探査データをコンピュータで処理する。

自動車メーカー「ジル」(リハチェフ記念工場)では、新型の最高級車を生産した。もっとも、エリートたちはすでに「外車」を好んでいたが。

モスクワ全域に有料駐車場が現れるのはまだ先の話だが、1994年、トヴェルスカヤ通りに最初の有料駐車場のメーターが設置された。

この年、最も名を馳せたアスリートの一人がエフゲニー・カフェルニコフだ。このテニス選手はデビスカップ決勝に進出した。 

空挺部隊の女子隊員がパラシュート・シミュレーターで訓練を行う。

ルジニキ・スタジアムに集まったFC「スパルタク・モスクワ」のファン。

永遠をかいま見る。スーズダリの朝。2024年にこの都市は建都1千年を迎える(年代記に初めて言及されるのが1024年)。

モスクワで母子が散歩する。

1994 年、サンクトペテルブルクで、オリンピックに比肩する規模の国際スポーツ親善大会「グッドウィルゲームズ」が開催された。74カ国から約2千人の選手が参加。

新しいモスクワ。西側ブランドの街頭広告。

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