1984年のロシア:一時代の終わり、そして変化の兆し(写真特集)

歴史
ロシア・ビヨンド
 またしても政権交代、テトリスの発明、冷戦の新たな局面…。1984年で他に記憶に残っている出来事は?

1982年にレオニード・ブレジネフが亡くなった後、この国を率いたユーリー・アンドロポフが2月に死去。アンドロポフの葬儀は、他のソ連指導者と同様、大規模に行われた。

多くの外国の代表団がモスクワにやって来た。その中には、キューバの指導者フィデル・カストロとラウル・カストロの兄弟もいた。

ジョージ・H・W・ブッシュ副大統領率いるアメリカ代表団も来訪した。

新書記長に選出されたのはコンスタンティン・チェルネンコだ。

ソ連と米国の冷戦は、再び深刻な局面を迎えた。1984年8月11日、ロナルド・レーガン大統領は、ラジオ演説前のマイクテストでこんな冗談を飛ばした。「私は今しがたロシアを永遠に非合法化する法案に署名しました。我々は5分後に爆撃を開始します」。この音源がリークされ、ソ連政府は、核保有国のこうした言葉を厳しく非難し、人類の運命に対する責任を想起させた。 

ソ連の式典の多くは、当時にいたるまで大いに尊重され守られていた。5月9日に「赤の広場」で戦勝記念パレードが行われた。

モスクワ州ドゥボセコヴォの「パンフィロフ英雄記念碑」で戦勝記念日が厳粛に祝われた。記念碑は、イワン・パンフィロフ少将が率いた第316狙撃師団の部隊の功績を讃える。 

レーニン、マルクス、エンゲルスのポスターや肖像を掲げてデモを行う。

11月には、恒例の十月革命記念日が盛大に祝われた。 

革命記念日には、さまざまな都市で――もちろん「赤の広場」でも――大規模なパレードが行われた。

子供たちが「春と労働の祭日」、つまりメーデーを楽しんでいる。

1984年6月6日、プログラマーのアレクセイ・パジトノフは、彼が考案したゲーム「テトリス」を発表。これはカルト的人気を博した。写真はその初期バージョンの1つだ。

ちょうど10年前に始まったバイカル・アムール鉄道(第2シベリア鉄道〈通称はバム鉄道〉)が竣工した。

間もなくやって来るペレストロイカ、自由とグラスノスチ(情報公開)の最初の兆候が感じられ始めた。そして、写真芸術にも、こうした変化が反映する。写真は、レニングラード(現サンクトペテルブルク)のありふれた一日。

モスクワのサンドゥノフ浴場(通称「サンドゥヌィ」)の前に、朝、行列ができる。

トレチャコフ美術館を訪れた人々が、聖遺物のイコン「ドンの聖母」を見る。1980年代になると、それまで閉鎖されていた多くの教会や修道院の修復が始まり、礼拝が再開された。

モスクワの聖ダニロフ修道院の修復。

冬を送る祭り「マースレニツァ」で、人々が野外で興じる。

モスクワ。「赤の広場」の聖ワシリイ大聖堂の近くで散策する人々。

時代の「顔」たち。画家エリク・ブラトフ。モスクワの公園「経済達成博覧会」(略称はVDNKh、ヴェーデンハー)にて。

作家ウラジーミル・ソローキン。背景はクレムリン。

ロック歌手で、バンド「キノー」のリーダーであるヴィクトル・ツォイ。

未来のロシア大統領、ボリス・エリツィン(写真左)。当時は、スヴェルドロフスク州党委員会第一書記だった。ペルヴォウラリスク・ノヴォトルブヌイ工場に対して、労働赤旗勲章を授与する。

将来のスター。モスクワ音楽院大ホールで演奏するピアニスト、エフゲニー・キーシン。当時はまだ13歳だった。

公演前にイズベスチヤ紙を読むバレリーナ。ヴォロネジ国立オペラ・バレエ劇場にて。

バレエ学校のバレリーナの卵たち。 

退役した軍人たちが、カザン市の街角で休暇を楽しむ。

軍隊のスポーツ基準に合格!

跳馬を飛ぶ。モスクワ電子工学大学の学生の教練。 

搾乳の模範労働者たち。レーニンの旗の下で。 

モスクワのゴーリキー公園のアトラクション。

元離宮ツァールスコエ・セローのエカテリーナ宮殿にて。チケット売り場の行列。

ロックンローラ世代も登場。

1984年、ソ連の宇宙船「ソユーズ T-12」が宇宙に打ち上げられた。クルーには、女性として初めて宇宙遊泳を行った女性宇宙飛行士スヴェトラーナ・サヴィツカヤも含まれていた。下の写真はクルーの面々。ウラジーミル・ジャニベコフ、スヴェトラーナ・サヴィツカヤ、イーゴリ・ヴォルク(左から)。

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