18歳の少女が独ソ戦を象徴するヒロインに:パルチザンのゾーヤ・コスモデミヤンスカヤ

Kira Lisitskaya (Photo: ТАСС; Public domain)
 ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤ(1923~1941年)は、金の星をかたどった「ソ連邦英雄」の称号を独ソ戦時に授与された史上初の女性となった。山や星には彼女の名前が付けられ、詩やオペラが彼女に捧げられた。なぜだろうか?

 1941 年 6 月、ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤが学校の 9 年生を終えようとしていたとき、ナチス・ドイツがソ連に侵攻。同年秋、ドイツ軍はモスクワに迫っていた。国家機関や産業施設は、同市から疎開した。そして、ゾーヤは、1941年10月末に、コムソモール(共産党青年団)の志願兵の部隊に登録した。

ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤのコムソモールの団員証

「破壊し焼き尽くせ」 

 1941年11月17日、「スタフカ」(赤軍総司令部)は、ドイツ軍が占領した地域の市町村を破壊する命令を出した。

 このような作戦を実行するには、新しい人材が必要だった。彼らは、前もって志願兵の中から募集され始めた。若者たちは、第9903部隊に配属。これは、赤軍のなかでも極秘の部隊の一つだった。

 ゾーヤも、ここに配属された。彼女は、他の志願兵とともに、敵軍の偵察行動、道路への地雷敷設、橋の破壊、道路での待ち伏せ、倉庫や通信インフラの破壊、パルチザン部隊の組織、その他多数の訓練を受けた。 

モスクワの戦い、ヴォロコラムスク地区、1941年12月

 ゾーヤが配属された偵察・破壊活動グループは、ヴォロコラムスク(モスクワ西方100キロメートル)に投入された。彼女の最初で、しかも成功した戦闘任務は、敵後方で道路に地雷を敷設することだった。その後、彼女は、ドイツ軍のオートバイ運転手の殺害に参加した。彼から、司令部の書類と地形図が見つかっている。

悲劇に終わったペトリシチェヴォ村での作戦

 間もなくゾーヤは、モスクワ近郊の10の集落で破壊活動を行うべく送り込まれた。11月27~28日の夜、彼女のグループは、ペトリシチェヴォ村の馬小屋に置かれた、ドイツ軍の無線諜報施設とドイツ兵が収容されていた家々を破壊しなければならなかった。 

 破壊作戦の実行中に、ゾーヤは、火炎瓶で家2軒と敵の車両を破壊することに成功したが、ドイツ軍に捕らえられた。少女をドイツ軍に引き渡したのは、占領された村の住民であり、彼らは占領軍に協力していた。残酷な拷問にもかかわらず、彼女は、取り調べ中に自分の本名を明かさず、ターニャと名乗り、他の破壊工作者たちについての情報も白状しなかった。

 1941 年 11 月 29 日、彼女は絞首刑となった。「パルチザン」の標識が付けられた彼女の遺体は、1か月以上絞首台に放置され、埋葬されたのは1942年1月1日だった。そして1月末、ペトリシチェヴォ村は赤軍によって解放された。

偉業の称賛

 ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤの偉業についてソ連国民に語ったのは、従軍記者ピョートル・リドフだ。彼は、モスクワ州のドイツ軍からの解放について書いていたが、ある村で処刑前に勇敢な言葉を吐いた少女の話を耳にした。

従軍記者ピョートル・リドフ

 リドフは、ペトリシチェヴォ村を数回訪れ、地元住民にインタビューし、破壊活動グループに関する機密文書にアクセスしたが、「ターニャ」を見つけることはできなかった。少女の身元が判明したのは、墓が発掘された後のことだ。

 ソ連共産党の機関紙「プラウダ」の記事のなかで、リドフは少女の最後の言葉を引用した。「あなた方は、今私を絞首刑にしようとしているが、私は一人ではない。私たちは 2 億人もいる。そのすべてを処刑することなどできない。あなた方は私のために復讐されるだろう。兵士たちよ!手遅れになる前に、降伏しなさい。勝利は私たちのものなのだから!」

ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤについての記事

 1942年2月16日、ソ連最高会議幹部会は、今はなきゾーヤ・コスモデミヤンスカヤに、「ソ連邦英雄」の称号を授与した。そして1942年2月18日、リドフは新しい記事「ターニャとは誰だったのか」を発表し、そこで「ターニャ=ゾーヤ」の人柄、彼女の勇気と忍耐力を公にした。

 「ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤの拷問の場に居合わせた下士官カール・バイエルラインが、我が軍に捕らえられた。拷問を行ったのは、ドイツ第197師団第332歩兵連隊の連隊長、リューデラー中佐だ。ヒトラーの下士官は、歯を食いしばって証言しつつ、こう書いた。『あなた方の国民の小さなヒロインは毅然としたままだった。彼女は、裏切りなど考えてもみなかった…。彼女は寒さで青ざめ、傷口からは血が流れていたが、何も言わなかった』。リドフの記事の一節だ。

 ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤとその偉業を記念して、ソ連全土に記念碑やプレートが設置され、学校、図書館、児童キャンプ、通りや村には彼女の名前が付けられた。また、山岳、小惑星、船舶なども彼女にちなんで命名されている。

モスクワ地下鉄のパルチザンスカヤ駅

 ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤは、ソ連国民すべてのヒロイズムの象徴となった。とりわけ、首都を守るために命を落としたパルチザンや破壊工作員たちのシンボルだ。

 第9903部隊にかつて所属したクラヴジア・スカチョワによると、部隊の2000人のうち951人が死亡した。つまり、ほぼ2人に1人だ。彼らは任務に出発したとき、身分証明書の類は何も持たなかったから、死亡したときも身元は不明だった。  

ロシア・ビヨンドがTelegramで登場!ぜひフォローをお願いします!>>>

もっと読む:

このウェブサイトはクッキーを使用している。詳細は こちらを クリックしてください。

クッキーを受け入れる