ロシアのツァーリたちの言葉:信憑性は歴史家が確認

Kira Lisitskaya (Photo: Tretyakov Gallery)
 ロシアのツァーリたちは、さまざまな名言を数多く吐いたことになっているが、その多くは、実際には言われていない。我々は、資料により発言の事実が確認されたもののみを特別に選んだ。

イワン雷帝(4世)

「私は、何も誇らないし、自慢するつもりもさらさらない。何かを誇ろうなどと考えたこともない。なぜなら、私はツァーリとしての義務を果たしているだけで、自分の力を超えたことはしていないからだ」

 アンドレイ・クルプスキー公への第一書簡。1564年。(クルプスキーは雷帝の親友だったが、後に敵対した)

アレクセイ・ミハイロヴィチ

「仕事には時間をかけるが、楽しみにも時を割く」

 『鷹狩指南書』。これは鷹狩りの指南書で、アレクセイ・ミハイロヴィチ(ピョートル大帝の父)が序文を書いている。17世紀半ば

ピョートル大帝(1世)

「わが国民は、子供のように、学ばないで済むと喜ぶ。強制されないと決して文字を覚えようとしない。ところが、覚えさせると、後で感謝するのだ」

 工業コレギヤ〈参議会〉の1723年11月5日付け勅令

「誰かが自分の職務で罪を犯した場合、その者は国家全体に災厄をもたらすことになる」

 ロシア国家法典の草案に含めるための「国事犯罪の説明」、1723年10月

エカチェリーナ大帝(2世)

「私も他のみんなと同じように盗みに遭うことがあります。しかし、これは良い兆しであり、盗む物があることを示しているでしょう」

 ビョルケ夫人への手紙。1775年4月12日付け

ニコライ1世

「農奴制が悪であることは誰の目にも明々白々だが、今それに手を付ければさらに悲惨な事態を招くだろう」

 皇帝の諮問機関「国家評議会」での演説。1842年3月30日

ニコライ2世

「私は神の前に重大な責任を負っており、いつでも神に自分の行為の申し開きをする覚悟があります。私は、命ある限り、良心に従って、信念を持って行動する所存です」

 彼の母親、皇太后マリア・フョードロヴナへの手紙。1902年10月20日

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