「血が始まった」と村の少女が母親に言うと、母親は少女の顔を平手打ちした! 当然子供は泣き始める。もちろん、この残酷な虐待は民間の迷信によるものだ。
セルゲイ・ヴィノグラドフ『田舎の少女たち』1938年
Public domain19世紀のロシアの農民は月経の始まりを、女の子に女性としての胎生力が現れたものと正しく認識していた。少女の顔を平手打ちするのはその子の顔が赤くなり、生理が定期的にくるようにという意味である。
スモレンスク郡の歴史家ナタリア・マザロワによると、女の子の出産能力を維持するために、初潮が始まると母親のルバーハ(丈の長めのブラウス)を着て、最初の「月経の血」を迎えた。
セルビアなどの南スラブ民族の間では儀式はより厳格で「女の子が幸福で血色よくあるために、初潮の時に母親はその子の額と眉に月経の血液を少し塗った」
アンドレイ・リャブシキン『17世紀のボヤールの娘』1903年
Russian Museum/Public domainロシアの村における月経についてあまり知られていないのはなぜだろうか?農民の家族は常に働き手を必要としていた。そこで「適齢期」に入った少女たちを次のクラスナヤ・ゴルカ(復活祭後最初の日曜日)に嫁入りさせようとした。新しい家族を作り、すぐに新しい働き手が生まれるように。したがって、ほとんどの女性の月経は長い間、依然として人生の重要な要因にはならなかった。
また、女性は月経中に何を使っていたか? これに関する情報はほとんどなく、18~19 世紀には、教育を受けた裕福な女性は月経ベルトを使用していたことが知られている。農民の女性はぼろきれを使い、長いシャツの裾を足の間に挟むだけだった。
ニコライ・テルプシホロフ『ヴォログダ郡のイズバ』1925年
cultinfo.ru生理が来ると少女は女性となり、新しい権利が与えられた。たとえばコンスタンチン・シュモフとアレクサンドル・チョルヌィフが『月経に関するスラブの儀式と迷信』という論文に書いたように、それは下のスカートとポニョワ(巻きスカート)であり、またルバーハ(丈の長めのシャツ)の上にタオルとエプロンを身に着けるといった女性の衣装を着る権利である。
月経が始まると女の子は大人とみなされ、大人にお辞儀をし、若者のパーティーに行き「婚活」を行い、将来の夫を選ぶことができることを意味した。
正教会は旧約聖書 (レビ記 15章19~33節) に従って、女性は月経中は純潔ではないと宣言し、教会を訪問すること、十字架やイコンにキスすることを禁じた。
結婚式の日に突然月経が始まったらどうなるか?その場合、結婚式は延期されるか、新婚夫婦が戴冠礼儀を行う際に、花嫁は唇を触れずに十字架にキスをするふりをした。またナタリア・マザロワは、プスコフ郡では、司祭が「松かエゾ松か?」と暗喩で花嫁に問いかけ、「エゾ松」という答えは花嫁が月経中であることを意味し、司祭は儀式の前に清めの祈りを読んだ、と書いている。
民間信仰では、生理中の女性はダークエネルギーを持っていると言われていた。月経中、女性は何かを植えたり、畑仕事をしたり、小麦粉、生地、穀物に触れたりすることを禁じられていた。そうすることでそれらのものを台無しにしてしまうと考えられていた。洗礼式や出産、葬式、結婚式に出席すること、赤ちゃんの洗礼の母になることも禁じられていた。料理することも奨励されなかった。つまり、ロシアの伝統では女性はこの時にはできるだけ休むようにされていたのだ。
アレクセイ・ヴェネツィアーノフ『ミルクガール』1826年
Russian Museum/Public domainしかし、ロシア人にとって月経は「悪い」だけのものではなかった。月経によって女性は魔法の儀式を行うことができた。これは本質的に異教的なものだ。シュモフとチョルヌィフが書いたように「女性の本性の焦点としての月経の認識は、時には禁止よりも強く、女性の文化的、社会的、経済的孤立を克服し、女性の状態を望ましいものにし、女性の特別さを思い出させた」
ポリーシャ地方(北ウクライナ、南ベラルーシ及び東ポーランドにかかる歴史的な地域)のスラブ人は月経中の女性がジャガイモを植えた方がよく育つと考えていた。セルビアでは「次に息子が欲しい女性は出産後の最初の月経の際に、トウモロコシの実をその血で染め、そのトウモロコシの実をエプロンから出して雄鶏に与えなければならなかった。娘が欲しいなら雌鶏に。
「血液」そのものが強力な魔法の道具とされていた。食べ物や飲み物に数滴たらすことで男性を魅了することができ、人に、特に子供にその血を塗ることで、その人を死に至らしめると考えられていた。
多くの魔法の術は月経を緩和することを目的としていたが、それらは不純な物質としての「血液」自体に関連付けられているのではなく、汚れた下着を洗った後に残った水に関連付けられている。最も通俗的な魔術はこの(月経を象徴する)水をいくつかに「分割」し、「自分用」に残った一つ以外のすべてを取り除くことだった。
ニジニ・ノヴゴロド郡では月経を軽くするため、女性は洗濯中に手のひらで桶から水をすくって左右に3回水をまき、このように唱えた。「よそものは左へ、私のものは右へ」
ハリトン・プラトノフ『洗濯屋』1889年
Public domainシベリアでは月経が重い場合は、まじない治療師の女は洗濯後の水を壺に入れ、道の交差する所で四方八方にその水を撒いた。もっと簡単な魔法は、洗濯後の水を白樺の木または小屋の下の方の丸太の接合部に注ぐというものだった。
月経を止めるもう一つのよく知られた方法は、水車の貯水池または風車の開閉装置の木くずを使用するものである。これらは「せき止め」の象徴であり、女性はそれらを燃やし、灰を水に溶かして飲んだ。
ただし重要なのは、月経の血痕がついた下着を埋めたり燃やしたりしてはならず、洗濯後の水を地面に注ぐことは自分(または他人)を不妊にしてしまうことだった。
子供を授からないようにする悪魔的な魔術もあり、その方法はスモレンスク地方で知られている。女性は月経の血痕のついたルバーハを熱く燃えたペチカやバーニャの石に投げ入れ水をかけ、こう唱えた。「この血がペチカで焼かれるように、子供が私の子宮で焼かれるように」。民俗信仰によれば女性から将来生まれるすべての子供は月経の分泌物に集約していると考えられていたのである。
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