KGBが広めた米国に関する陰謀論3選

Kira Lisitskaya (Photo: Legion Media)
冷戦中、デマの拡散はソ連の国益に利する強力な武器だった。

1. エイズは米国国防省が開発した

 1987年3月30日、数百万人の米国人がテレビで衝撃的なニュースを耳にした。「エイズを引き起こすウイルスは生物兵器の実験を行っている米軍の研究所から流出した」とCBSのキャスターが発表したのだ。

 このニュースは、すでに米国の人々の耳に届く前から、世界中で米国の評判を蝕んでいた。後に分かったことだが、このデマ拡散活動の裏側にはKGBがいた。

 冷戦の間ずっと、ソ連の秘密警察は宿敵米国に損害を与えることに全力を注いでおり、そうすることで、第三世界の中から可能な限り多くの国々を味方に付けようとしていた。 

 主に防諜を担当したKGB第2総局のA局は、外国の政府や世論に影響を与える極秘の活動を主導することで、ソ連の国益に敵対する個人や集団の認識を操作することを任務としていた。

 エイズに関する陰謀論はA局のデマ拡散作戦として成功を収め、「感染症作戦」と呼ばれた。

 KGBはまずインドのニューデリーで刊行される地元紙にこの話を掲載させたのだが、話題は転がる雪玉のように大きくなっていった。世界中のさまざまな新聞に取り上げられ、ついに米国のテレビにまで届いた。何度も転載されたため内容は少しずつ変わっていったが、核心は変わらなかった。エイズは人工の病気で、米軍が開発し、主に米国内外の周辺的なコミュニティーの中で流行しているというのだった。

 ソ連の卓越したウイルス学者ヴィクトル・M・ジダーノフがこの陰謀論を公に非難したが、米国の国益はすでに損なわれていた。デマによって米軍基地の賃貸借契約の更新に難色を示す国が現れ、米国は韓国やニカラグア、パナマ、トルコ、ケニア、ザイール(現コンゴ民主共和国)などの国々で困難に直面することになった。

ソ連のウイルス学者ヴィクトル・M・ジダーノフ

 「エイズ陰謀論が世界規模で潜在意識に埋め込まれると、それ自体がパンデミックとなった。どの噂話でもそうであるように、この話は主に口づてで広まり、最も影響を受けた下位集団の中で特に広まった。噂や陰謀論のダイナミズムを効果的に操った東側陣営の情報機関が作り出した怪物は、その作り手がいなくなった今でも命脈を保っている」と歴史家のトーマス・ボガートはこのソ連の秘密作戦について綴っている。

2. ジョン・F・ケネディの暗殺はCIAが企てた

ジョン・F・ケネディ

 リンドン・ジョンソンがジョン・F・ケネディの暗殺事件を調査するために立ち上げたウォーレン委員会が、ケネディを射殺したのはリー・ハーヴェイ・オズワルドだと結論付けた2年後、事態は予期せぬ展開を見せた。

 ニューオーリンズの地方検事ジム・ギャリソンがケネディ大統領暗殺事件を独自に調査し始めた。皆が衝撃を受けたことに、検事は米国人実業家クレー・ショーを逮捕し、ケネディ大統領の死につながる暗殺計画を首謀したという容疑をかけた。

 この世紀の事件の急展開は、米国に大混乱をもたらすことになった。なお悪いことに、捜査の過程でクレー・ショーのCIAとの結び付きが暴かれた。どうやらショーは、外国を旅行して定期的に外国の重大な機密を得られる立場にあった米国民の採用を担当するCIAの国内連絡局の情報提供者としてCIAのデータベースに載っていたようだった。ジム・ギャリソンの捜査結果は、ケネディ暗殺が国内で計画されたことを示唆するものだった。

クレー・ショー

  ショーが逮捕された時、イタリアの左派新聞『パエセ・セラ』がCIAとショーの関係の全体像を明かす記事を掲載した。記事によれば、クレー・ショーはただの国際実業家ではなく、そのビジネス活動は彼がCIAのスパイであることを隠すカムフラージュだったという。同紙はショーが、イタリアでの秘密作戦や政治的スパイ活動を行うためにCIA職員が設立したと言われる貿易促進団体チェントロ・モンディアーレ・コンメルチャーレを通した偽の商業活動に関わったとして彼を非難した。

 この疑惑はソ連のプラウダ紙を含む他の左派メディアにも転載され、ついには米国メディアに論争の嵐を巻き起こすことになった。

 雑誌『ライフ』編集者で、捜査初期にジム・ギャリソンと密接に連携していたリチャード・ビリングズの日記によれば、『パエセ・セラ』の記事やその転載記事によって、ギャリソンは自分の仮説が正しいと確信し、上層部側近が反対したにもかかわらず、ショーとCIAの関係をさらに深く調べることになったという。

 その後、KGBはジョン・F・ケネディが右翼の陰謀の犠牲者となったことを示唆する書籍の出版を支援する方向に舵を切った。クレー・ショーは陪審員によって無罪判決を受けたが、彼がCIAとつながっていたという事実は多くの米国人の潜在意識に入り込み、20世紀で最も人気のある陰謀論の一つを支え続けている。

3. 米国政府は偽の活動家マーティン・ルーサー・キング・ジュニアを作り出した

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

 マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが一大現象となった時、ソ連は当初これを自国の有利になるように利用するつもりだった。計画は単純明快で、米国の人種差別の不正を暴露し、アフリカなどの地域の第三世界の国々を味方に付けるというものだった。冷戦のさなか、米露両国は同盟国や取引国を探し求めていた。

 この意味で、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの登場はKGBにとって望ましい展開だった。彼の活動は、資本主義陣営の精神の根底にある米国帝国主義と人種差別の最悪の特徴を暴露するというソ連の目的とよく調和していたからだ。

  しかしKGBは間もなく、キングがアメリカン・ドリームを繰り返し強調することに幻滅し、非暴力と市民の不服従によって特徴付けられる彼の戦略に苛立つようになった。

 皮肉にも、FBIの上層部はキングがソ連の影響力を行使する道具であり、米国の治安に対する脅威であると印象付けようとした一方で、KGBは自国のスパイに米国市民権運動の指導者に対する中傷活動を展開させていた。

 KGB諜報員のユーリー・モディンは、キングを米国帝国主義の工作員として描く記事がアフリカ大陸全土の新聞に掲載されるよう手配した。それによれば、キングは米国内の真の市民権活動家を手なずけて彼らの存在感を薄めるために、米国政府から秘密裏に資金援助を受けているということだった。

 さらに、KGBは米国に潜伏するスパイに「黒人人権運動を抑圧するために政府が用いている残酷なテロ行為」を明るみに出すことを指示した。おそらく、デマ活動の目標はソ連の思想上の敵の膝元で暴力的な人種闘争を激化させることだった。 

 外国のスパイの正体を見抜く方法をまとめたKGBのマニュアルについてはこちら>>

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