ロシア初のジェットコースターはどのようなものだったか(写真特集)

 18世紀、ロシアの女帝エカテリーナ2世はサンクトペテルブルク郊外の田舎の邸宅にカート式の巨大な滑り台を作った。その見た目は壮観だ。

オラニエンバウムにて

 エカテリーナ2世はパーティーの仕方を知っていた。彼女は公邸であるペテルゴフ宮殿の近く、オラニエンバウムに「ダーチャ」(別荘)を持っていた。これは誰もが想像するような普通のダーチャではなく、たくさんの遊戯と活動を楽しめる公園と宮殿から成る巨大複合施設だった。

 そこにあった最も驚くべきアトラクションの一つが、カート用の滑り台だ。夏用に作られた。冬の間、特に休日に橇に乗るのはロシア古来の伝統で、18世紀にはツァーリの住まいに冬の橇用の滑り台があるのが当たり前だった。しかし、冬でないからと言って、橇滑りの楽しみを諦める必要はない。強大な権力を持つエカテリーナ大帝は何でも思い通りにできた。 

 エカテリーナ2世のための夏用の滑り台は、1760に機械工・技師のアンドレイ・ナルトフが建てたもので、他に類を見ない。史上初の夏用のジェットコースターは「カターリナヤ・ゴールカ」(「滑り丘」)と呼ばれ、幅6㍍以上の3本のトラックから成る巨大な板張りの傾斜路だった。

「滑り丘」の復元模型

 カートは真ん中のトラックを滑り降り、4本の坂を上り下りし、惰性で計500進む。滑り終わったカートは、特殊な仕掛けによって脇のトラックから馬の力で最初の位置まで戻される。 

  「滑り丘」のビジュアル再現をYouTube動画でご覧ください。

 カート自体が芸術品だった。チャリオットかゴンドラのような外観で、金で贅沢に装飾されていた。トラックに沿って天井と列柱のある回廊が伸びており、女帝の客はそこを歩いて他の人が滑る様子を見ることができた。

 エカテリーナ2世の死後、人々が滑り台を楽しめたのは数年間だけで、1801年からは整備不足と資金不足で徐々に老朽化していった(新皇帝には別の関心と趣味があり、自身の別荘を持っていた)。1813年、ついに列柱が崩壊し、廃墟は1850年代に解体された。

かつて滑り台があった場所(松の並木は帝政期からあった)

 しかし、「滑り丘」の一部である素晴らしいパビリオンは現存している。当時人々はパビリオンにある高さ20のバルコニーからカートに乗り降りしていた。

「滑り丘」のパビリオンの模型

 パビリオンはイタリア人建築家アントニオ・リナルディがバロック様式と初期古典主義様式を融合して建てたもので、この手の建物としては、当時の人々からは最も豪華なものの一つと認識されていた。

丸い天井を持つ3階建ての石造建築は、花飾りの彫刻で装飾され、鐘状の屋根を持つ。

 内装はファサードよりも印象的だ。各広間が独特のデザインを持つ。最近修復され、2022年7月に一般公開が始まった。

丸い広間はロシアとイタリアの職人の手になる絵画や鋳物、金箔の細工で飾られている。

 パビリオンがあまりに美しかったため、エカテリーナ2世はこれを遊びのためだけでなく、祝宴会や祝賀会にも使った。外国の大使を招いたり、スウェーデン王グスタフ3世を記念する晩餐会を開いたりしたこともあった。

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