1942年のロシアの様子(写真特集)

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 ロシアは第二次世界大戦の真っ只中にあった。いくつかの大きな戦いが行われ、レニングラードは包囲下にあった。銃後の国民は前線の需要に応えていたが、そこにも生活があった。

モスクワの戦いの最中、モスクワ州解放のため進むスキー兵。

ナチスに破壊されたモスクワ郊外モジャイスクの教会。

モスクワの戦いで守備に就く砲兵隊。
負傷兵に包帯を巻く看護師。

ギターを弾きながら歌うバルト海艦隊の潜水艦兵。
休憩中の北方艦隊の水兵。

ソ連水兵チームと米国・英国チームとのサッカーの試合前。
戦闘機乗り。空軍兵士の勇敢な戦いぶりとドラマは、ソ連映画『出撃するのは「爺さん」だけ』で理想化され、不朽の名声を得た。

長いスキー移動の後の一服。
北極圏の空軍基地でのソ連のトナカイ飼いと英国の航空整備士。

最も激しい戦いの一つ、スターリングラードの戦いの後の廃墟。
破壊された噴水。荒廃したスターリングラードで撮られた象徴的な写真。
米国の労働者から贈り物を受け取るソ連兵。

子供さえも工場で働き、前線のために備品や制服、兵器を作っていた。下の写真では工場で少女が砲弾を積み上げている。
ほとんどの男性が前線で戦っている間、女性と子供が家事を行って生計を立て、命をつないでいた。学童はすぐに大人になって出征していった。下の写真は牛の世話をする学童。

学校や近隣の家の暖房用の薪を用意するピオネールと教師。
授業で化学物質や放射性物質の除染方法を学ぶ学童。
集めたラズベリーで冬の保存食となるジャムを作る準備をする少女たち。

前線の兵士のために裁縫をする少女たち。
若きトラクター運転手。
ソ連の人々は芸術が治療に役立つと考えていた。多くの音楽家が各地の軍の病院を回り、時には前線に赴いて兵士を鼓舞した。

北方艦隊の水兵のために演技する役者。
ソ連の女性もナチスとの戦いに積極的に参加した。彼女らの中には、極めて勇敢な飛行機乗りや砲兵、そしてもちろん看護師もいた。写真では勲章を受けた狙撃手リュドミラ・パヴリチェンコが持ち場に就いている。

乳搾りをするパルチザンの看護師。
第二次世界大戦の特に暗い一幕が、900日近く続いたレニングラード包囲だ。「本土」から切り離されて補給を絶たれた市民は、食糧や暖房がない中で生き延びなければならなかった。下の写真では、女性たちが街の中心部、聖イサアク大聖堂のそばで野菜を育てている(大聖堂は街の目印となるためナチスの空爆を免れた)。
人々は包囲されたレニングラードで生き続けるため最善を尽くした。劇場や国家機関は通常通り機能していた。

エルミタージュはその貴重なコレクションの大部分を避難させたが、美術館の職員は絵の額縁を壁に残しておいた。いつの日か傑作がここに戻った時、元の場所が容易に分かるようにという願いを込めて。
モスクワで演奏する作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチ
戦争に蹂躙された時代において、人々の日常の暮らしを収めた写真もある。下の写真ではコルホーズ(集団農場)の農民が休憩をしている。

ピオネールの大集会。

連邦会館に集うピオネール。

サッカーをするピオネール。

登校中のモスクワの少女ら。

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