「おばさん、牛乳とパンをください」と店にいる子供がレジ係に言うかもしれない。「運転手のおじさんに運賃を渡しなさい」と母親がバスの中で子供に言うかもしれない。見知らぬ人にこのように呼びかける伝統はどのようにして生まれたのか?
ロシア語には見知らぬ人に中立的に話しかける方法がない。英語では「Mr」と「Miss/Mrs」、フランス語では「Monsieur」、「Madame」がある。しかしロシア語ではそのような言葉はなく、「お嬢さん」「若い男の人」と呼ばれることがほとんどだ。しかし「女の人」「男の人」という呼び方は年齢を示唆してしまうため失礼にあたり、傷つけてしまうとさえ考えられている。
革命以前は、人々は肩書きや社会階級に従って呼ばれていた。
都市ではほとんどの場合「スーダリ(サー)」/「スダールニャ(マダム)」(「ゴスダーリ(貴殿)」という言葉から)、大勢の人には「ダームィ(レディース)」/「ゴスポダ(ジェントルマン)」(ピョートル1世統治下で使われるようになったフランス語からの借用)。王子たちは「ヴァ―シェ・スヴェートロスチ(殿下)」と呼ばれ、皇族は「ヴァ―シェ・ヴェリーチェストヴォ(陛下)」と呼ばれた。
しかし、村ではすべてがはるかに単純だった。彼らはお互いを親戚同士の様に呼び合った。したがって、大人はよく見ず知らずの高齢者を「お父さん」と呼び、自分と同年代の人を「兄弟」または「姉妹」と呼んだ。そして、子供にとってはみんな「おばさん」「おじさん」だった。これは、両親の同年代の人と話すときに敬意を表すものと考えられていた。
19世紀半ば、ロシア帝国で産業を行う企業がたくさん建設され始め、そこへ人々が働きに出るようになったとき、これらの呼びかけは都市にも移ってきた。
ソ連では「スーダリ(サー)」と「スヴェートロスチ(殿下)」が消え、誰もが平等になった。すべての人への呼びかけとして「トヴァーリチシ(同志)」がロシア語に導入されたが、この呼びかけは主に公式の場で使用された。そして日常レベルでは、身近な人にも、知らない人にも、「おばさん」「おじさん」という簡単な呼びかけが依然として現在まで使われている。そして多くの人は、大人になっても母親の友人を「スヴェタおばさん」と呼び続け、習慣として自分の子供たちにもそうさせている。
言語的な観点から見ると、これらの言葉は赤ちゃん言葉(「ジャージャ―」、「チョーチャ」、「マーマ」、「パーパ」、「バーバ」、「ジェーダ」)に似ていて覚えやすい。
このような呼びかけの元は、同じ村の住民が、たとえ直系ではなくても、またいとこに当たるなど、確かに互いに親戚である可能性があることを示している。このように、人々は無意識のうちに血縁関係を示してきた。
そしてこれは、特に子供の場合、自分自身の安全を守るために必要だった。自分が「仲間」であることをはっきりさせれば、仲間外れにされることはない。
今日、最も現代的で敬意を表す言葉は名前と父称で呼ぶこと(「エレナ・パブロフナ」、「ドミトリー・アレクサンドロヴィチ」)、または見知らぬ人の場合は「ごめんなさい」、「すみません」などであると考えられている。(日本語でも「すみません」と言うように)そして常に「あなた」と呼びかける。
「母は、『叔父さん』と『叔母さん』というのは村での呼び方であり、高等教育を受けた都会の人々はお互いにそのように呼び合うことはないと信じていました」とモスクワ出身の言語学者、タマラは言う。「ですから知り合いの大人同士は、本人が『おじさん』『おばさん』と呼んでくれと頼まない限り、名前と父称で呼び合います。そして、私は知らない人には『こんにちは、すみません、お願いします』と言うように言われており、『おじさん、クリスマスツリーから子熊の飾りを取ってください』とは言ったことがありません」
「子供の頃、私は見知らぬ人にこのように呼びかけていました」とモスクワ在住の写真編集者ダリアは言う。「私の両親はよくこう言っていたのです。『うろうろしないで。おばさんの服を汚してしまうでしょう』」
「私は逆に、子供の頃は誰に対しても名前と父称で呼んでいましたが、今では私は子供たちにスヴェタおばさんと呼ばれています」とモスクワ在住の経済学者スヴェトラーナは言う。「そして今ではカフェでパンケーキを頼むときだけスダールニャ(マダム)と呼ばれます」(パンケーキのカフェチェーン「テレモク」ではお客さんにこのように呼びかける – 編集)
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