キリル文字は外国人をビビらせることが多い。まあ、大抵の文字は理解できるが、一部の文字は読み方が違う。たとえば、ロシア語の「Б」はラテン文字の「B」で、「V」がキリル文字の「В」なのだ。おまけに、「軟音符」の「Ь」と「硬音符」の「Ъ」のように、それ自体は読めない奇妙な文字もある。しかし、心配ご無用。今からすべてご説明しよう。
さらに、なぜ「Ё」がいつも「差別」されるのか、どの文字がカブトムシのように見えるか、文字「Ы」を発音するときにいかに顎を「折りたたむ」か、等々についてもお話ししよう。
Аа
ロシア語のアルファベットの最初の文字であり、最も頻繁に用いられる文字の一つだ。ギリシャ語のアルファに由来する。しかし、この文字で始まる、
「авось (希望的観測で)ひょっとしたら」やいくつかの間投詞以外に、ロシア古来の言葉はほとんどない。
また、古代スラヴ語では、この文字は、「аз(アズ)」と呼ばれていた。ちなみに、1人称代名詞(現在は「я」)も「аз」だった。たとえば、“Азъ есмь царь”(我はツァーリなり)
Бб
ラテン文字のアルファベットには、このような文字はないが、音はある。それは、ギリシャ語の「ベータ」に由来するラテン文字「B」の音だ。
そして、ロシア語の「Б」は、独立した文法上の機能をもっている。仮定法の助詞「бы 」が、しばしば「б 」に短縮されるからだ。たとえば、ソ連の喜劇映画
『コーカサスの女虜、もしくはシューリクの新しい冒険』の中で、“Если б я был султан…” 「もし私がスルタンだったら…」と歌われる。
Вв
この文字を書くと、ギリシャ語の「ベータ」に似ているが、英語の 「V」 のように発音される。ただし、この文字は、たとえば「любовь (愛)」や「вторник(火曜日)」におけるように、しばしば「F」と発音される。また、まったく発音されないこともある!「чувство (感情)」の最初の「в」がその例だ。さらに、「в」は前置詞でもあり、日本語の助詞「に」のように場所、方向を表わす。
Гг
この文字は「G」のように発音されるのだが、単語の最初にある場合、ロシア人がそれをどう発音するかで、その人の出身地が分かる!たとえば、トゥーラ州とリャザン州の方言では、この有声子音「G」が弱くなって、いわゆる「軟化」する。南部のクラスノダール地方では、それをさらに弱く「H」のように発音することがある。このため、ロシア語には「гэкать」(「G」を「H」のように発音する)という動詞さえある。しかし、「Бог(神)」の末尾の「г」を「H」のように発音するのは正しい。
Дд
この文字は、ギリシャ語の「デルタ」に由来し、古代スラヴ語のアルファベットでは「добро(善)」と呼ばれていた。とはいえ、実際のところ、筆記体と印刷の書体がこんなに違っていたら、どこが「善」だろうか。小文字の「д」の筆記体は、英語の 「g」 とそっくりなのだ。
もう一つの特徴は、単語の末尾と無声子音の前では、無性子音化して「T」のように発音されることだ。だから、注意しなくてはならない――ロシア人があなたに、たとえば、「код」(コード)と言っているのか「кот」(猫)と言っているのか間違えないように。
Ее
この形の文字は、ピョートル1世(大帝)によるロシア語の改革と、いわゆる「世俗文字」(教会文字と対照的だった)の導入後に登場した。かつて、この文字は「Є」の形だったが、「Э」と混同しやすかった。
Ёё
この文字が正式に承認されたのはようやく1942年のことで、それ以前は、アルファベットは32文字だった。それまでは、「Ё」は「E」の変形にすぎないと考えられていたのだ。しかし、「Ё」はいまだに
「差別」され、点が打たれないことが多い。だから、見た目は同じなので、どう発音すべきかは、文脈から判断しなければならない(外国人のロシア語学習者は気の毒だ!)。
Жж
ロシア語で最も「賑やかな」文字で、虫が「ジジジ…」と唸る音をそのまま連想させる。「жук」(カブトムシ)はこの文字で始まる。また、「жужжание」という言葉があって(まさしく「ジジジという唸り」の意味だ)、「ж」が3つも入っている。この文字の形に、カブトムシをイメージする人は多い。
ギリシャ語にはこのような文字は存在せず、古代教会スラヴ語から来ており、「живете」(生きる)と呼ばれていた。
Зз
「З」は当初、ギリシャ語(およびラテン語)の「Z」に似ていた。そして長い間、二つの書体が併存していたが、時とともに、「З」のみが使われるようになった。
この文字には注意が必要だ。なぜなら、「C」の音(ラテン文字の「S」)に変わることがあるからだ。たとえば、「сказка(おとぎ話)」という単語では、「З」ではなく「C」の音だが、「сделать(する)」では、逆に「C」が、明瞭な「З」の音に変わる(有声子音の前でこの現象が起きる)。
また、多くの接頭辞では、その後に来る文字によって、「З」と「C」が交替し得る。たとえば、「без-/бес-」は、「~がない」を意味する接頭辞だが、「бесполезный(役に立たない)」と「безрадостный(楽しくない)」のように、入れ替わる。
Ии
ギリシャ文字「Η, η」(イータ)に由来する。古代教会スラヴ語では、この文字は「иже」(イジェ)と呼ばれた(これは、関係代名詞「который」と訳せる)。ロシア語では今でも、"и иже с ними" という表現が見られる。つまり、「彼らのような人々」、「同じ考えをもつ人々」、「同類」といった意味になる。
1917年のロシア語改革の前には、ロシア語のアルファベットには、「I」という文字が、ギリシャ語の「Ιι」(イオタ)と同様に存在していたが、ボリシェヴィキ政権は、「И」に「 I 」を
統合した。改革前には、「мiр」(世界、宇宙)と 「мир」(平和)は、別の言葉だったのに、今では表記が同じ「мир」だけになった。
Йй
この文字で始まる単語が少なく、ほとんどは外来語だ。йод(ヨード)、йога(ヨガ)、йогурт(ヨーグルト)…。
正式に独立した文字として登場したのは20世紀になってからであり、それ以前は、「И」の上に短い線を加えていた(形としては「Й」と同様だが、「И」と別の文字とはみなされなかった)。発音は、「I」と「J」の中間といったところで、文字は “И краткое” (短いИ)と呼ばれる
Кк
この文字もギリシャ語から来ており、ラテン語のアルファベットでもおなじみだ。ただ、小文字「к」の書体が英語などの「k」とは異なる。ロシア語のそれには、上に突き出る線はない。大文字をそのまま小型にしているので、行の罫線を超えない。
ちなみに、ロシア語の古来の言葉では、「к」と「ы」または「э」の組み合わせはほぼない。借用語または、ロシアに住むいつくかの民族の言葉に存在するだけだ。たとえば、 「акын」(中央アジアの吟唱詩人)や「кэш」(キャッシュ〈コンピュータシステム〉)など。
Лл
正式にはこの文字は「エリ」と呼ばれているが、その形は、ラテン語の「L」ではなく、ギリシャ語のラムダ「Λ」に似ている。実際、筆記体ではまさにそのように書かれる。印刷の書体では、ロシア語の文字「П」のように見えるが、少し曲がっている。サンクトペテルブルクの印刷会社がこの書体を導入したのは19世紀のことで、今でも標準となっている。
Мм
この文字は、モスクワその他の都市で見られ、赤く大きく表示されている。「Метрополитен」(地下鉄、メトロ)のしるしだ。
この文字は、ラテン語の「Mm」と同じように読まれるが、ギリシャ語由来なので、小文字は形が少し違う。
ロシア語では猫は 「мяу」 (ミャウ)と鳴き、我々は感傷的になったとき「мимими」(ミミミ…)と言う。そのため、ロシア語の中で最も「かわいい」文字になったと言えよう。
Нн
「拒否」と「否定」を担当する文字だと言えよう。「Нет」(いいえ)、「не」(~ではない/〜ない)、「никак」(全然~)などの単語は、すべて「Н」で始まる。最も頻繁に使われる子音文字でもある。
これは、ギリシャ語アルファベットの「Νν」(ニュー)に由来するが、ロシア語では「N」ではなく「H」と書かれるので、すべての外国人を混乱させる。
しかし、常にそうだったわけではない。古代の教会の文書では、文字の横棒は傾いていた(ただし、2本の垂直線の中央にあったが)。ピョートル1世のもとで、横棒は最終的に水平になった。
Оо
ロシア語で最も頻繁に用いられる文字だ。しかし、強勢のない音節では、ロシア人はしばしばそれを「О」とは発音せず、「O」と「A」の中間のように発音する。
モスクワっ子は、自分の都市の名「Москва」を「Маааасква」(マーアスクヴァー)と延ばして発音するので、地方ではよく笑われる。
また、我々ロシア人は、オバマ大統領を「アバーマ」と発音するので、アメリカ人は何のことやら分からず混乱した。もっとも、ロシア北部の農村では、「окать」(OをOと発音する)する人々に出会えるけれども。つまり、現代ロシア人にとっては、すべての「O」を「O」と発音するのは不自然なのだ。
Пп
円周率「π」の数字はおなじみだろう。ロシア語の「П」は、このギリシャ文字に基づく(ただし、我々は、これを「パイ」ではなく「ペー」と呼ぶ)。しかし、筆記体では、小文字の「п」は、英語の「n」と同じように書かれることが多いので注意しよう。
Рр
この文字は外国人をよく惑わせる。それは、英語の「P」の形だが、発音は「R」に近い。しかし、覚えやすくはある。何しろ、「Россия」(ロシア)、「русский」(ロシアの、ロシア人)、「рубль」(ルーブル、₽)は、この文字で始まるのだから。古代には、「рьци」または「рцы」と呼ばれ、「話してください」という意味だった。
Сс
かつてロシア語には、「S」もあった。ちなみに、一部のキリル文字(マケドニア語など)には、今でも「S」が存在する。どちらの文字も、ギリシャ語の「Σσς」(シグマ)に由来する。
すでに述べたように、18世紀初めにピョートル1世は、「世俗書体」を導入した。そして、大抵の場合「Z」に音が似ている「S」が、「З」に統合された。その一方で、「C」は、この形で残った。ギリシャ語の「シグマ」の小文字「ς」の形を採用したが、簡単にするために下の“尻尾”が除いたと考えられる。
なお、「C」は、古代スラヴ語のアルファベットでは「слово」(言葉)と呼ばれていた。『ヨハネによる福音書』の最初の行には、“В начале было Слово”(はじめに言葉ありき)とある。
Тт
「T」は、ギリシャ語の「Ττ」(タウ)に由来するため、その書体は、ラテン語の「t」とは異なるから注意しよう。筆記体では、小文字の「т」は英語の「m」に似ている。
これは、ロシア語でしばしば判読が難しい、数少ない文字の一つだ。 たとえば、「стн」とか「стл」のように文字が連なる「лестница」(階段)や「счастливый」(幸せな)などの語がそうだ。
Уу
書体的には、この文字はラテン文字「Y」、またはギリシャ語の「Υυ」(ウプシロン)によく似ている。しかし実際には、この文字の歴史はずっと複雑で、ピョートル1世の治下で導入された「世俗書体」に初めて登場した。
今日では、音声学におけるロシア語の「У」は、「U」の音に対応する。しかし以前は、二つの文字を組み合わせて書かれていた。「O」と「Ѵ, ѵ」(イジツァ)だ。イジツァは、「ウプシロン」に由来し、 [i] の音を意味した。 この複雑な組み合わせは、筆記体ではいつも違って見える。時にはꙊ のように、時には ꙋ のようになる。そこで、「У」に簡略化されたわけだ。
Фф
もし、不満を表したいなら、単にこの文字を発音すればいい。ロシア語ではこれを「фыркать」(鼻を鳴らす)といい、何か嫌なことがあれば、「фу」(フー)とか「фи」(ヒー)と「鼻を鳴らす」。この文字は、ギリシャ語の「Φφ」(ファイ)に由来し、主に借用語で見られる。
Хх
ロシア語では、この文字は「笑い」、つまり「хихихи」(ヒヒヒ)や「ахаха」(アハハ)を表すほか、多数の、ここには書けない卑猥な言葉、そしてそれらから派生したさらに膨大な言葉に使われる(この文字は、男性性器を表す俗語の最初に出てくるのだ)。
その一方で、借用語では、英語の 「Ch」 の組み合わせが 「X」で表記されるため、「херувимы」(ケルビム、天使、英語でcherub)や「христиане」(キリスト教徒、英語でChristians)もこの文字で始まる。
Цц
この文字は「ts」の音に対応するため、「Цезарь」(シーザー)や「пицца」(ピザ)など、ラテン文字の 「C」または 「Z」が含まれる外来語で用いられる。
また、「ц」は間投詞でもあり、きっぱりした印象を与える。たとえば、劇場内で誰かが雑談するのを「цыкнуть」(歯の間から強く「ツッ」と言う。日本語の「シッ」に当たる)で止めることができる。また、上司がレポートを書き直す必要があると言ったら、ガッカリして「ц」を長く発音するかも「ツーー…」。
Чч
古代教会スラヴ語では、この文字は、芋虫を意味する「червь(チェルフィ)」と呼ばれていた。これは、キリル文字の「Ҁ(コッパ)」に基づいており、それはまた、古代ギリシャの数字のシステムに由来し、「90」を意味した。その結果として、現代ロシア語の「Ч」も「杯型」の輪郭となった。ただし、「杯」は垂直ではなく水平だが。
「Н」と「Т」と組み合わさったときに、「Ч」(Ch)の音は、しばしば「Ш」(Sh)の音に変わることがあるからだ。たとえば、「что(何)」は「што」のように、「конечно(もちろん)」は「конешно」のように発音される。モスクワの古い発音では、「Ч」の発音がこのように変わるケースが他にも多数あった。たとえば、「булочная(パン屋)」は「булошная」と発音された。
Шш
ロシア語の「シューシューいう(шипящих)音」のなかでも最も「乾いた(шуршащая)」音だろう。そして、イタリックや筆記体で判読するのが最も難しい文字だ。 たとえば、「チンチラ」という単語は次のように綴られる。
おそらく、ヘブライ語のアルファベットの21番目の文字「ש」(シン)からロシア語に入ったものと思われる。
ちなみに、ロシア語のこの文字は、正式には「シャー」と呼ばれるが、間投詞としても用いられる(ロシア南部でより頻繁に使われる)。誰かに早く黙ってもらうために使用される…。
Щщ
「最恐」の奇怪な文字。英語に転写しようとすると、「shch」としか変換できない。
また、もしあなたがどこかへ早く来るように呼ばれたら、“ща” (ただいま)と言うことができる。あるいは、頼まれたことをやりたくないときは、皮肉に “ага, щас прям!” (はい、はい、今やりますよ!)と言ったりする。
Ъъ
この文字は読むことができない。これは「硬音符」と呼ばれ、純粋に機能的な役割を果たす。つまり、単語の接頭辞が子音で終わり、それに続く語根が母音で始まる場合に、区切って発音することを指示する。たとえば、「объявление」(広告)。一部の言語または音声学では、これにアポストロフィを用いる。
ただし、1917年の革命以前は、この文字ははるかに一般的に使われていた。それは「Еръ(イエーリ)」と呼ばれ、子音で終わる語の最後に来ることが多かった。それが「男性形」であることを示したわけだ。たとえば、商店「スミルノフ」の看板は "СмирновЪ" 。
Ыы
おそらく、外国人にとって発音が最も難しい文字だろう。ロシア語には、「Ы」で始まる単語はない(他の言語が話されている共和国は除く。たとえば、サハ共和国には、「Ыгыатта」という川がある)。
第二に、インターネットの言語では、「Ы」は「Ыыыыы」と同じく、ロシア語版「LOL」といった「お笑い」の意味をもつ。そして、やや下品な冗談に使われる。下顎を前に突き出して、「Ыыыы」と音を引っぱってみると、よく分かるだろう。
Ьь
「軟音符」は「硬音符」と同じく、単独で発音することはできないが、発音上の指示機能を多く備えている。まず、それは母音と子音を分離するのに必要だ。「семя」(種〈セーミャ〉)と「семья」(家族〈セミヤー〉)は、読み方も意味も異なる。
また、「軟音符」は、語尾の子音を「軟化」させる。「мат」(マート〈卑猥な罵言〉)と 「мать」(母)がいい例だ。
さらに、動詞の語尾の「ь」は不定詞であることを意味する。例えば、「учить」(習う)、「мочь」(できる)。
Ээ
「E」の項目ですでに述べたように、かつては、左右にひっくり返したような「Э」と「Є」のペアがあったのだが、ピョートル1世のもとで「Э」の一つだけが残された。
「Э」は、借用語の「поэт」(詩人)や「сэр」(イギリスのナイトの称号、あるいは男子への敬称の「サー」)で使われることがほとんどだが、指示代名詞「этот」(この)や間投詞「эх」や「эгегей」などでも用いられる。
Юю
この文字は、18世紀初めに、3音の結合「I + ОУ」から生まれた。借用語、特に名称や人名で使われることが多い。たとえば、「Юпитер」(ジュピター、木星)。
そして、この文字は、一人称の現在形の動詞で使われることがある。たとえば、“Я люблЮ тебя” (私はあなたを愛しています)。あるいは、名詞の特定の形に出てくる(たとえば、「князю 公爵に」のように、「与格」において)。
ただし、この文字の使用法には例外も多く、その隣に置くことができない文字もある。
Яя
アルファベットの最後の文字であると同時に、一人称の人称代名詞でもある。この文字は、ラテン文字の「R」の「鏡像」なので、外国人も、書き方を学び始めたばかりのロシアの児童も、よく混乱する(概して、「R」を書くほうが簡単だし)。かつて、文字は「IA」の形をしていた(そして今でも「Ya」と読む)。しかし、ピョートル1世治下で、一つの文字に統合された。