9世紀には、伝説的な宣教師の兄弟、キュリロスとメトディウスおよびその弟子たちが、すべてのスラヴ人に共通の文章語、「古代教会スラヴ語」をつくった。当時、スラヴ語は(同一言語の方言のようなものとして)互いに理解できたので、古代教会スラヴ語は、モラヴィア、バルカン半島、古代ロシアのすべてのスラヴ人に広まった。
今日、その地域と人口は、ロシア1億4,550万人、ウクライナ4,110万人、ベラルーシ920万人、ブルガリア700万人、セルビア700万人、モンテネグロ63万人、クロアチア400万人、ボスニア・ヘルツェゴビナ320万人、北マケドニア200万人、チェコ共和国1,070万人、スロバキア550万人。
スラヴ諸国のなかで、古代教会スラヴ語が普及しなかった地域と今の人口は、ポーランド3,800万人、スロベニアで200万人。これらの地域では、中世初期には、ラテン語が共通の文章語の役割を果たした(スラヴ人は、現在、合計で約3億人いる)。
11~16世紀になると、さまざまなスラヴ語で、根本的な構造的変化が起こり、主要な言語的特徴と語彙が形作られた。それ以来、スラヴ世界の各地域の住民は、意思疎通が難しくなった。
少なくとも18~19世紀までは、スラヴ人の共通言語の役割は、古代教会スラヴ語の「後継者」である「教会スラヴ語」が果たすことが多かった。とはいえ、その限られた機能と実生活からの隔離は、19世紀よりずっと前から、学者たちに認識されていた。
初めて、教会スラヴ語を超えて現代的な共通のスラヴ語をつくろうとしたのは、ユライ(ユーリー)・クリジャニッチ(Juraj Križanić)だ。彼は、クロアチアの宣教師で、広い学識を備えた人文学者、ほとんどルネッサンス人といってもよい人物だ。
ユライ(ユーリー)・クリジャニッチ
Public domain彼は、カトリックの司祭・神学者でハプスブルク帝国の臣下だった。1659年にモスクワに赴き、ロシアのツァーリ、アレクセイ・ミハイロヴィチに仕えた。彼は、すべてのスラヴ人が団結するために正教会とカトリック教会が合同する必要があると主張したが、ツァーリの宮廷では、冷淡に迎えられた。
数年後、この「クリエイティブな」クロアチア人は、当時、シベリアの中心都市だったトボリスクに流刑となった(しかし彼は、年90ルーブルという、当時としては潤沢な生活費を下賜された。
これは、クリジャニッチが以後16年間にわたり旺盛な執筆を行うのに十分だった)。
全スラヴ人の団結という理念から、彼は論理必然的に、ロシア語に基づいて、現代的なスラヴ共通語をつくる必要があるという考えにいたった(彼は、ロシア語を、スラヴ諸語のなかで最も古く、純粋で、しかも発展した言語だと思っていた)。
1665年に、彼は『ロシア語文法』を著した。ここでの「ロシア語」は、当時のロシア語ではなく、彼が生み出した共通スラヴ語を意味する。
ユライ(ユーリー)・クリジャニッチ著の『ロシア語文法』
Public domain彼の語彙の60%以上は、慎重に選ばれたスラヴ共通の単語で、10%はロシア語と教会スラヴ語から、9%は著者の母国語の方言から、2.5%はポーランド語、残りの単語は他のスラヴ諸語から選ばれた。
クリジャニッチの実験は、学問的には非常に成功していた。彼の著作は、ヨーロッパにおける言語の比較文法に関する最初の研究だとしばしば呼ばれる(それも、スラヴ語の領域だけの話ではない!)。さらに、このクロアチアの思想家は、共通スラヴ語を「ロシア語」と呼ぶことによって、20世紀末までスラヴ民族のコミュニケーションを支配するであろうトレンドを先取りしていた。
ロシア帝国はどんどん勢力を増していった(ポーランド・リトアニア共和国が分割、消滅してからは、世界で唯一のスラヴ国家となった)。そしてロシアは、20世紀初めまでの数世紀間は、オーストリアとトルコの領域に住んでいたスラヴ人の知識層のほとんどにとって、かけがえのない政治的、文化的スタンダードとなる。
クリジャニッチの考えは、意図せずして、必然的に汎スラヴ主義に継承されることになった。これは、ロシアの君主の支配のもとですべてのスラヴ人を単一国家に統合するというものだ。
つまり、汎スラヴ主義は、将来、「すべてのスラヴ人は、すべてのスラヴ人に理解できる共通言語に戻るべきだ」という考えが発端になったわけだ。幾人かの有志は、スラヴ共通語(汎スラヴ語)のプロジェクトを提示した。その例として、ヤン・ヘルケルの『Universalis Lingua Slavica』(1826年)や、スロベニア人、マティア・マヤル(筆名ジリスキ)による『スラヴ正書法』(1865年)を挙げることができる。
マティア・マヤル
Public domainしかし、当時は、ロシア文化とロシア語の、スラヴの人文系知識人への影響はとても大きかったので、彼らは基本的に、当時のロシア文化を母国に適用することに熱心だった。それに、彼らのほとんどは、ある程度ロシア語を知っていたので、実際のところ、別の「汎スラヴ語」をつくるためにがんばる必要はとくになかった。
1917年のロシア革命以降、ロシア語は、スラヴ世界における支配的な地位を一時譲ったが、第二次世界大戦が終結した1945年以降、社会主義陣営全体の事実上の主要言語として返り咲いた。こうして戦後、1980年代末まで、すべてのスラヴ人は、ソ連当局の厳格な指導のもとで社会主義を築いていった。
ソ連崩壊後、ロシアは、他のスラヴ民族にとって吸引力を失い、この地域でのロシア語の権威は急激に低下した。したがって、千年紀の変わり目に、すべてのスラヴ人の共通語の問題が再浮上した。
今世紀初めには、旧社会主義圏の国のほとんどが西欧との積極的な統合を開始したが、それでも、共通語の必要性は消えないどころか、むしろ高まった。共同事業、手頃な価格の観光、インターネット上の無制限のコミュニケーションにより、東欧、中欧のさまざまな国民は、より緊密につながるようになった。
その際に、誰もが英語をマスターできたわけではなく、スラヴ人が何か母語に近い言語で交流するほうが簡単だし自然だ、というもっともな考えが浮上した。ただし、21世紀の共通スラヴ語のプロジェクトは、かつてのそれとは根本的に異なる。つまり、現代のプロジェクトは、汎スラヴ主義を完全に欠いており、純粋に実用的な目標を掲げている。
その最初のものは「スロヴィオ」で、1999年以来、スロバキアの言語学者マルク・グチコが開発した。それは、スラヴ諸語の語彙とエスペラントに似た原則に基づいていたが、結局、広まらなかった。
スロヴィオを開発したマルク・グチコ
個人所蔵多くのユーザーは、その人工臭とエスペラント風なところ、違和感を覚えざるを得ない複数形の末尾の-s、およびグラフィックの「醜さ」に悩まされて、敬遠した。マルク・グチコ自身も、「スロヴィオ」のいくつかのバージョンをリリースした後、自分の「生みの子」に失望したようだ。彼は、2010年以降、メールへの返信を止め、プロジェクトのWebサイト「 http://slovio.com/」の更新を停止した(イラストとして、サイトのスクリーンショットを掲げておく)。
2006年、「スロヴィオ」にライバルが現れた。「Slovianski」だ。チェコ人のオンドレ・レチニク、ガブリエル・スヴァボダと、オランダ人のヤン・ヴァン・ステンベルゲンがつくった。彼らは、現代のスラヴ諸語の語彙を利用し、それらの文法を模倣して、すべてのスラヴ語に共通する言語を生み出すことを目標にした。
2009年、アメリカ人のスティーヴン・ラジホフスキー、ポーランド人のアンドレ・モラチェフスキ、チェコ人のミカル・ボロヴィチカは、プロジェクト「スロヴィオスカ」を提案した。これは、実質的に前二者のハイブリッドだ。
同年、チェコのプログラマ、ヴォイテチ・メルンカは、モノグラフ『新しいスラヴ語』を刊行した。そのなかで彼は、現代スラヴ語の語彙を、古典的な共通スラヴ語、すなわち古代教会スラヴ語および教会スラヴ語の文法・語彙と組み合わせようとした。
ヴォイテチ・メルンカ(左)とヤン・ヴァン・ステンベルゲン(右)
IJzeren Jan (CC BY-SA 4.0)2011年に、上記の三者のプロジェクト・グループは、協力の必要性について公に語り、2017年に、自分たちのすべての事業を、新しい「インタースラーヴィク・プロジェクト」(Interslavic)に統合した。
そして、言語に関するその後の作業は、特別委員会に委託された。委員会は、既に名前が挙がったメルンカとヴァン・ステンベルゲンのほか、ポーランド人のミカル・スヴァト、チェコ人のロベルト・ロンビノ、ロシア人のパーヴェル・スクルイリョーフなどからなる。
今日の「インタースラーヴィク語」には、2つのアルファベットがあり、どちらを使ってもよい。すなわち、チェコ語やクロアチア語のタイプのラテン文字と、ロシア語の文字を、セルビア語とウクライナ語のそれと組み合わせたキリル文字だ。
これは、文法的には、自然なスラヴ語に可能な限り近づけられている。ただし、構文は調整されており、形態論的には、例外や不規則性が適切に排除されている。
インタースラーヴィク語には、17,000語を超えるかなり大きく、注意深く調整された語彙があり、定期的に更新されている。ある程度の教育を受けた、いずれかのスラヴ語のネイティブなら、その書き言葉と話し言葉をほぼ理解できるようになっている。
インタースラーヴィク語は、辞書をつくっている。現時点で語彙は17,500語だ。
またサイトもある。
さらに他のSNSにもアカウントがある。
インタースラーヴィク語は、「スロヴィオ」よりはるかに自然で実用的なことは明らかになってはいるが、プロジェクトは、全体としては、一連の有志と数千人の愛好家、ファンの輪をまだ超えていない。
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