―「ママ、もうちょっとビデオゲームしてもいい?」―「だめよ。猫にはいつもマースレニツァというわけじゃないのよ」
―「なぜもうポケットマネーがないのかな?」―「今は財政難だからね。猫にはいつもマースレニツァというわけじゃないさ」
これが、「猫にはいつもマースレニツァというわけじゃない」の用例だ。要するに、どんな良いこともいつかは終わりが来るという意味だが、さて、この慣用句の由来は?
この慣用句はロシア語ではこうなる。
“Не все коту масленица”(Ne vsyo kotu maslenitsa)
これを直訳すると「猫にはいつもマースレニツァというわけじゃない」となる。「マースレニツァ」とは、キリスト教導入以前の古代に遡る、スラヴの民衆のお祭りだ。1週間にわたり、太陽をかたどったブリン(パンケーキ)を食べて祝う。祭りは、冬の終わりと春の到来を象徴する。
人々はこのパンケーキ週間を景気よく祝う。祭りは丸1週間行われ、食べ物(とくにパンケーキ)と飲み物がふんだんに出るのが通例だ。
なぜ猫もマースレニツァの恩恵をこうむるのだろうか?もちろん、この週は十分に餌を与えられるし、とくに、ミルクなどのおやつも沢山もらえる。要するに、これは猫にとって、年間通して最高の週だろう。
実は、この慣用句には、後半の部分があったのだが、今では忘れられている。本来は、「猫にはいつもマースレニツァというわけじゃない。大斎期もやってくる」となっていた。
実際、マースレニツァのお祭りの後、その翌日から厳格な大斎期が始まり、パスハ(復活祭)まで48日間続く。その間、多くの食品が禁じられる。何よりもまず、動物由来の食品だ。
ロシア正教会によれば、大斎期は単に食事を制限するものではなく、ネガティブな思念(および肉欲)を鎮め、心と体を浄化するのが目的だった。
しかし、歴史的に見れば、大斎期には、別の意味もあった。農民たちが晩夏に、冬に向けて準備したすべての食料ストックが2月には底をつく可能性があったことだ。そのため、彼らは、食事の量を減らす必要があった。
こうして、冬の終わり頃には、人間にとっても猫にとっても苦しい腹ペコの時期が始まった!ちなみに、英語では「クリスマスの後は四旬節」“After Christmas comes Lent”という表現が流布している。
この慣用句は、劇作家アレクサンドル・オストロフスキーの戯曲(1871年)の題名(Не всё коту масленица)にもなり、今でもロシア中の多くの劇場で上演されている。今、我々がこの慣用句を使うときは、この戯曲を連想するので、これが直接の由来ということになる。
もともと、それは英語に「It’s Not All Shrovetide for a Cat」と訳されていたが、どうもぎこちない。そこで、ここでは現代の翻訳「It’s not always Maslenitsa for a cat」(猫にはいつもマースレニツァというわけじゃない)を用いることにする。そのほうが、現代の観衆には分かりやすい。
このウィットに富んだ戯曲は、裕福だがケチで横暴な商人、エルミール・ゾートゥイチ・アーホフ(60歳くらい)と、その野心的な執事、イッポリート(27歳)をめぐって展開する。
彼らは二人とも、アグニアという娘に求婚する。彼女は、慎ましやかで持参金もない。商人の娘だが、父はすでに亡くなっている。エルミールは、アグニアは間違いなく自分を選ぶだろうと決めてかかり、この結婚で彼女に恩恵を施すようなものだ、などと考えている。しかし、彼女はイッポリートと結婚することを決心して、エルミールに衝撃を与える。
エルミールは立腹して喚き立てる。「なぜ昔のように、こいつら貧乏人は、俺の足元に這いつくばらないのか?!」と。
これに対して、アグニアはこう答える。「ロシアの諺にもあるじゃありませんか、エルミール・ゾートゥイチ。『猫にはいつもマースレニツァというわけじゃない。大斎期もやってくる』ってね」
彼女が言いたいのは、いわゆる「古き良い時代」もやがて終わりを迎えるし、貧しい人々も誇りをもっている。羽振りの良い金持ちにいつでも媚びを売るとはかぎらない、ということだ。
ロシア人は、この諺を口にしながら、何によらず良いものはすべて、いずれは終わりが来ることを忘れないようしようと、お互いに戒め合っているわけだ。こうして人々は、精神的に準備され、実際にそういう状況になっても冷静沈着に反応することができる。
しかし、その一方で、反対のことも起こり得ることを覚えておこう。すなわち、雨が降った後は虹が出る。
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