現在、ロシアのポモール人たち(歴史的に白海沿岸に暮らすロシアの民族)は、ロシアのスーパーマーケットで売られているあらゆる食料品を買うことができる。しかし、彼らの魚への愛は彼らの血のなかを流れている。なんと言っても、数百年の間、先祖たちは魚を食べてきたからである。今でも、ポモール人の村は残っており、そこに住む人々は「海の幸」を食べて生きている。しかしながら、当時、この厳しい土地はまったく辺鄙な田舎ではなかった。18世紀初頭まで、ロシアとヨーロッパの貿易の大部分は他でもないこの白海を通じて行われ、ヨーロッパからもたらされるすべての新しいものはまずここに入ってきたのである。そこで地元の人々はコーヒーに詳しく、自分たちの独自の淹れ方を考案したほどである。それは何とサモワールで淹れるというものであった。ここでは、ポモール人たちの食の秘密について紹介しよう。
ポモール料理の基礎となっているのは、季節ごとの海の魚である。ポマクハは、タラまたはオオカミウオを使って作る、もっとも一般的なポモール料理である。アルハンゲリスクのレストラン「Roomi」のシェフで、北方ロシアの料理に詳しく、地域のレシピを集めているアンドレイ・アニケーエフさんは、「魚は小麦粉をつけて焼き、魚のブイヨンでじゃがいも、玉ねぎと一緒に、ロシアのかまどで煮込まれました。小麦粉をつけていることでブイヨンがどろっとして、そこに切ったパンをつけると最高に美味しいんです」と話す。アンドレイさんは、伝統的なレシピを再解釈していると話す。そのレシピとは、まずタラを牛乳に漬け、その後、玉ねぎのキャラメリゼ、蒸したじゃがいものムースを加え、フレッシュハーブを飾る。
「味がはっきりと感じられるよう、ポモール料理では、季節の食材を旬のときに使います。それ以外では、わたしたちはシンプルな調理法を使い(発酵、乾燥、煮込み)、何も変わったことはしていません」と話すのは、ムールマンスクにあるホテル「メリディアン」のブランド・シェフ、マクシム・ガレツキーさんで、このホテルのレストランでも、ポモール料理がメニューに加えられた。たとえば、ウハーは世界の多くの民族のメニューにもあるが、ポモール料理には特徴がある。ウハーを作るのに、ポモールの人々は海の魚しか使わない。ポモールの人々は、川魚を見下し、「食べて吐き出すもの」と呼んでいる(実際、川魚には骨がたくさんあり、食べながら、しょっちゅう骨を口から出さなければならない)。ベロモルスクにある「ポモール文化センター」の郷土研究家、スヴェトラーナ・コーシキナさんは、「ポモールのウハーと魚のスープは何が違うか知っていますか?ポモール人は、ウハーに少量のウォトカを加えるか、ウォトカを飲むのです」と笑いながら話す。
シェフのガレツキーさんはまた次のように述べている。「ポモール人はウハーをタラで作ることが多いのですが、季節によって、そのときどきの魚を加えたり、タラの肝臓を入れたりします。わたしたちも、サーモンを入れたり、地元の魚であるオヒョウを入れたりします。ウォトカについての話は、どちらかというとロマンティックな作り話でしょう。というのも、ウォトカは味に影響を及ぼしませんし、調理の途中で蒸発してしまうので、わたしたちは加えていません」。(とはいえ、食べながら飲むことを禁止するということはない)。
ロシア語の名称としては発音しにくい名前の料理であるが、これは魚のスープと煮込み料理の中間のようなもの。北方では、ザエブリハを、出かけた先で、あるものを使って料理する「ごった煮」を呼んでいる。ポモールのザエブリハは、ジャガイモ、にんじん、野菜の残り、そして手元にある魚とブイヨンを混ぜたものである。このような料理は、ムールマンスクにあるツーリスト施設「テリベルスキー・べレグ」で見つけることができる。
「スカンツィ」という言葉は、ロシア人の耳にも奇妙な響きがする。地元の方言で、「巻いたもの」という意味である。この料理は、筒状に巻いたブリヌィのようなもので、ポモール人はライ麦粉を使うことが多い。生地にはケフィールまたはサワークリームを加え、フライパンで焼く。
ちなみに、いくつかの村の人々は、半円形に作ることもあるほか、別の村では、カレリアのピローグ「カリートカ」を参考に、独自の品を作っている。
コズリは北方ロシアの儀式用の糖蜜菓子である。アルハンゲリスク州のポモール人たちは、クリスマスにこれを焼いたものであるが、いくつかの村では、結婚式などのお祝いの日にも作った。コズリを見分けるのは簡単で、ヤギ、羊、牛などの動物の形をした糖蜜菓子があれば、それがコズリである。もみの木の形をしたもの、小鳥の形をしたものなど、家庭のレシピによって、さまざまな形のものがあった。
アルハンゲリスクの中心部には、コズリ博物館があり、自分でこのお菓子を作ってみることができる。
ポモールの人々はヨーロッパとの間で活発な貿易を行っていたことから、北方ロシアはロシアでコーヒーを初めて試した場所の一つとなった。しかし、その飲み方は自分たちで考案した。それはサモワールで淹れるというものであった。初めてこういう飲み方がされたのは、民芸品の職人で有名なアルハンゲリスク州北部のメゼンという街だったと考えられている。
またコーヒーには、外国から運ばれてきたさまざまなスパイスが加えられた。
現代のメゼン風コーヒーは、アルハンゲリスクのレストラン「Roomi」で飲むことができる。シェフのアンドレイ・アニケーエフさんは、「わたしたちは、異なる味が織り混ぜるために、コーヒーにスパイスと塩少々を加え、メレンゲを添えて出しています」と話している。
伝統的にメゼン風コーヒーと一緒に出されるお菓子が黒い糖蜜菓子である。実際のところ、このピローグは味も見かけもロシアの黒パンを思わせる。黒い糖蜜菓子のレシピはサワークリーム入りのクラシカルなビスケットの作り方に似ているが、小麦粉の代わりにさまざまなものを使う。しかしこのピローグが黒くなるのはなぜなのか。驚くべきことに、その答えは、砂糖が焼けすぎたことによる。砂糖に加えて、シナモンとクローブも入っている。ピローグは5日間は鮮度を保っていられると言われる。
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