ロシア版サンタクロース「マロースじいさん」のイメージはどう変わってきたか?(写真特集)

David Sholomovitch/Sputnik; Mikhail Tereshenko/TASS
贈り物を携えた冬の老人が、新年に不可欠なキャラクターになったのは、ソ連時代になってからだ。しかし、このイメージそのものは、古くから民間伝承に存在していた。

 「マロースじいさん(ジェド・マロース)」は、新年の象徴であり、贈り物を携えた善良な老人で、冬に現れる。しかし、スラヴ神話ではぜんぜん違った。これは、人や作物を凍らせて殺すことができる神であり、人々は、捧げ物で彼をなだめようとしていた。

 ロシア民話「モロスコ」では、この老人との遭遇が描かれている。ヒロインは、寒さの試練に耐え、その後、老人は、彼女に富を贈る。しかし、もう一人のヒロインを凍死させてしまう。

 「マロースじいさん」が初めてクリスマス(降誕祭)と新年の始まりに関連付けられるようになったのは、19世紀後半になってからだ。当時の古い絵葉書には、赤い毛皮のコートを着てクリスマスツリーを持った老人が描かれている。

 当時、冬の主な祭日は、新年ではなくクリスマスであり、ロシアでも、西洋と同様に、サンタクロースに似た存在を創ろうとした。

 しかし、マロースじいさんが、主要かつポジティブなキャラクターとなったのは、1930年代になってからだ。当時、ソ連では、クリスマスではなく新年を、冬の主要な祭日と位置付けた。

1940年代

 今や、善良なおじいさんが、孫娘のスネグーラチカ(雪娘)といっしょに、新年に子供たちのところにやって来て、贈り物をする。 

1950年代

1960年、モスクワ

 マロースじいさんは、新年の贈り物や子供たちだけでなく、ソ連の産業や科学の成果とともに、絵葉書に描かれた。たとえば、原子力砕氷船、バイカル・アムール鉄道(バム鉄道)の列車などを背景にしたり、さらには、新型飛行機の翼に乗って現れたりした。

 そして、新年の祭日のほかに、マロースじいさんは、冬送りの祭り「マースレニツァ」に加わるようになる。

1970年代

 さらには、新年の前に、各種工場や集団農場を訪問し、ソ連の労働者と交流する。

1980年代

 マロースじいさん&スネグーラチカ(雪娘)とともに新年を祝うのが、ソ連中で一般的な慣わしとなった――そもそも、マロースじいさんに関する民話や伝説がなかった地域でも。そして、この伝統は、ソ連崩壊後も続いた。

 現在、ロシアのさまざまな地域には、それぞれの象徴的な「新年の魔法使い」も存在する。たとえば、サハ共和ではチスハーンが、ヤマル半島にはヤマル・イリが、タタルスタンにはクィシ・ババイがいる。

 ロシアのマロースじいさんの「邸宅」は、ロシア北部の古都ヴェリキイ・ウスチュグにあることになっている。

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